「太陽族」に綿矢りさ、落選した太宰治…150回を迎える芥川賞・直木賞
芥川賞・直木賞は、数えで御年(おんとし)80歳。今回は第150回という節目にあたる。第1回は1935(昭和10)年。イタリアがエチオピアに侵攻し、美濃部達吉の天皇機関説が『メッタ斬り!』にあい、大江健三郎や美輪明宏が生まれた年である。「斜陽」文壇の茶番、文藝春秋の宣伝物品などという批判の声も聞こえるが、数多(あまた)ある文学賞のなかで、もっとも注目度の高い賞であることは衆目一致するところだろう。そんな両賞のこれまでを振り返ってみたい。
芥川賞と直木賞の違いは
芥川賞はご存じ芥川龍之介、直木賞は直木三十五の名にちなむ。直木三十五は「なおき・さんじゅうご」と、読みの併記が必要なくらいに知名度は低く、文学史の格付けもA級とはいいがたい。だが、生前は売れっ子の時代小説家で、文藝春秋を創立した菊池寛とも懇意の仲だった。 両賞は、この菊池寛の呼びかけではじまった。芥川賞は芸術性の高い純文学の短編、直木賞は大衆文学の短~長編が対象である。ただ、線引きはあいまいで、第28回芥川賞の松本清張『或る「小倉日記」伝』は、初め直木賞候補だったが、選考委員会の重鎮・永井龍男の鶴の一声で芥川賞候補にまわされた。 分量の閾値(いきち)も判然としない。芥川賞は「短編」が対象のはずなのに、柴田翔の『されどわれらが日々――』は、初出時300枚の「長編」だった。これを推した石川達三も、選評では「長すぎる」と認めている。 資格対象はどうだろう? 直木賞は書籍化された作品も対象だが、芥川賞は新聞・雑誌に掲載された作品に限られる。直木賞は中堅作家も含まれるが、芥川賞は無名か新人作家のみである。ただ、これまたプロ野球の「新人王」(年数・試合数等)のように明確な基準があるわけではない。 実際、芥川賞には薹(とう)の立っていそうな受賞者も多い。最近では、第144回の西村賢太が、数冊の著作をもつオールド・ルーキーだった。受賞会見の「風俗に行こうかなと思ってたんですけど」発言で時の人となったが、コアなファンをもつ人気作家であった。第147回の鹿島田真希も、デビュー14年目のベテランであった。