「僕はセレモニーをしてもらうまでの選手になれなかった」大田泰示は静かにDeNAを去って…古巣コーチ就任へ「泥臭くやってこられたのが財産」
大舞台に縁がないのも自分の人生
大田はDeNAに入団の際、「ハマスタで三浦監督を胴上げしたい」と語っていたが、残念ながら歓喜の瞬間、大田の姿はなかった。 「そうなんですよね。でも面白い人生でね、それも僕の一部なんだと思うんですよ」 苦笑しながら大田はつづける。 「僕は、キャリアの中で日本シリーズの打席に立ったことないんですよ。そういった意味では中学生のときは全国大会に出ていないし、高校時代は甲子園の土は踏めなかった。そういう大舞台に縁のない選手だったかもしれないけど、それでもたくさんのファンの方々に応援してもらった。それがね、僕の中で一番の財産なんですよ」
自分を形成してくれた巨人時代
振り返れば紆余曲折のプロ16年間だった。高校通算65本塁打の超大型野手としてドラフト1位で巨人へ入団し、松井秀喜が背負った55番を託された。しかし注目を浴びる中、矢印が投手ではなく自分自身に向いてしまい長らくの間伸び悩んでしまった。 「ジャイアンツ時代は苦しかったですね。まわりのレベルが高すぎて、壁にぶち当たって、俺、あと何年野球できるのかなって恐怖心も感じていました。今思っても、すごい中に入っていたんだなって」 大田はそう言うと苦笑したが、巨人時代は青年から大人へ変わっていく時期であり、プロとしてどう生きるべきか、心身ともに成長を促してくれた8年間だった。 「本当、自分という人間を形成してくれた時期だったと思います。言葉のチョイスだったり、立ち振る舞いとか厳しく指導されました。それができて初めて野球が上手くなるという教えでしたからね。そういった意味では、きつかったし揉まれはしましたけど、大事な時間だったと思います」 そして転機となった2016年オフの日本ハムへの移籍。栗山英樹監督のもと、大田は野球をプレーする喜びを享受した。忘れかけていた感覚だった。 「こんなに野球って楽しいのかってぐらい、伸び伸びと好きに野球をやらせてもらいました。本当、自分が思うようなプレーをさせてもらいましたし、感謝しかありませんね」 所属5年の間に、レギュラーとして初の規定打席をクリアし、ゴールデングラブ賞を獲得し、1億円プレイヤーにもなれた。大田にとって重要なキャリアを築けた北海道での日々だった。
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