吉田鋼太郎「『おっさんずラブ』は戸惑いはあったものの、演じていて非常に面白い作品だった。今3歳の娘の花嫁姿を見るまでは、とにかく頑張りたい」
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける名優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が聞く。第28回は俳優の吉田鋼太郎さん。演出家・蜷川幸雄との出会いが第2の転機だったと語る吉田さん。その後、NHKの朝ドラ『花子とアン』、ドラマ『おっさんずラブ』などテレビドラマでの活躍も増え――。 【写真】大学生の吉田さん * * * * * * * ◆演技プランを練りに練って (演出家・蜷川幸雄との)本当の出会いはそれから約20年後、渋谷のシアターコクーンで上演されたギリシャ劇『グリークス』の時。この芝居は「戦争」「殺人」「神々」の3部から成る。私は3日に分けて渋谷へ通い、寺島しのぶと尾上菊之助姉弟が、劇中も姉弟の役で、激しく抱き合うシーンに衝撃を受けた。 ――僕はその姉弟の母親、白石加代子さん演じるクリュタイムネストラの愛人の役でした。 3部作なんで、自分の出番までに2週間ぐらいあるわけですよ。すると蜷川さんがいろんな役者に怒鳴り、「お前なんかもう役者辞めちまえ」とかって、壮絶な稽古が目の前で繰り広げられている。 あそこへ僕も出て行かなきゃならないんだ、って思うと、もう心臓が口から飛び出すくらい緊張して。でもここで頑張らないと、自分の人生変わんないなと思ったんで、演技プランを練りに練って出て行きました。 それはですね、アガメムノン役の平幹二朗さんが、妻役の白石さんに殺されて、横たわってるところに僕が出て行って「とうとうやったな」と言うシーン。 その台詞を言う前に、僕は死体を蹴ったりして、その死を確認してから、初めて白石さんを抱き寄せて台詞、というのをやった。それで蜷川さんはびっくりして……最初はどうせ変なのが出てくるんだろうぐらいの態度で周りと喋ったりしていたのが、途中から口をポカーンと開けてじっと見てた、って。 あとで寺島しのぶさんが、「蜷川さん、これからもう鋼太郎のこと離さないと私は思った」って言ってくれましたね。稽古中に突然蹴られた平さんは「鋼太郎、痛い」って、小声で(笑)。あとからは「どんどんやって」って言ってくれました。 この時の蜷川さんとの出会いが、第2の転機ですね。
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