吉田鋼太郎「『おっさんずラブ』は戸惑いはあったものの、演じていて非常に面白い作品だった。今3歳の娘の花嫁姿を見るまでは、とにかく頑張りたい」
◆一から僕のシェイクスピアを 今後、彩の国さいたま芸術劇場の2代目芸術監督として、どんな活躍ぶりが見られるのだろうか。 ――蜷川さんが演出なさってた「彩の国シェイクスピア・シリーズ」は、5本を残して亡くなられたんです。『アテネのタイモン』『ヘンリー五世』『ヘンリー八世』『終わりよければすべてよし』そして最後に『ジョン王』。これをすべて僕が演出してやり終えました。 蜷川さんのシェイクスピアに対する考え方は、晩年になるとだんだん変わっていくんですね。初期には装置もダイナミックで、役者も体格のいい、声の大きな者を使って、観客をあっと言わせるような演出。 それがだんだんといろんなことを省いていって、もっとお互いにちゃんと会話すること、そのことによってその場に起こる本当の出来事を大事に表現していきたいんだ。そうおっしゃっていた矢先に亡くなってしまった。僕はその蜷川さんの考え方に大賛成なんです。 最初に蜷川さんのシェイクスピアに出していただいた時、「鋼太郎の台詞は何を言ってるのか、誰に対して言ってるのかがよくわかる」と言われて、それまでは朗々と歌い上げるような台詞回しを好んでいらしたんだけど、「これからはちゃんと血と肉が伴った演技をしてほしい」ということになったんです。 僕は蜷川さんのやり残した5本をすべて演出、出演しましたから、これからはまた一から僕のシェイクスピアを上演していくつもりです。
さいたま芸術劇場で蜷川演出の『ハムレット』を観た時、高齢の平幹二朗演じるクローディアスが自らを責め、本水(本物の水)を使って水垢離(みずごり)をするのに驚かされた。するとその場面ばかりが強く印象に残って、本筋がぼやけるように思われる。 ――あれは僕もびっくりしましたね。ただね、これは極論かもしれないけど、世界中に存在するあらゆる戯曲に対して『ハムレット』、という区分けができるくらい、すごい作品だと思うんです。 素晴らしく完成されていて、劇作家の最高峰と言われるシェイクスピアの渾身の一作じゃないかと僕は思う。 だから今回は丁寧に、極力奇をてらったことはせずに、柿澤勇人君のハムレットを始めとした、俳優の台詞と肉体だけで正面から勝負したいと思っています。 プライベートについても何か一言。 ――3歳になった娘にデレデレ状態ですね(笑)。娘はテレビに映る自分を見て、「パパ、パパ」って言ってくれます。まだ役者という職業まではわかってないと思いますけどね。 62の時の子供なんで、娘が20歳になると僕82でしょ。今は娘の花嫁姿を見るまでは、とにかく頑張りたいなと思っているところです。 いえ、もっともっと長く、演劇の素敵な夢を見せてくださいませ。 (撮影=岡本隆史)
吉田鋼太郎,関容子
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