「雰囲気のいい居酒屋」が日本から消える…飲食業界を苦しめる「消費者の変化」
「チェーン店は街をつまらなくする」のか?
順当に考えれば、こうした個人店淘汰の流れは今後も続くだろう。 物価高による影響をおさえるには、流通のルートを最適化したり、その調理工程を効率的にする必要がある。 世界中でますます緊密に物流網が発達し、ロジスティクスが複雑になる現在、こうしたルートを掌握しやすいのはもちろん大企業である。それらが安定的な運営を続けやすいのは必然的なことである。 一方、こうした「街の個人店が無くなっていくこと」に対して、どことない寂しさを覚える人も一定数いるだろう。「うちの街にはチェーンしかない」は、ただ事実を伝える文章ではなく、「だから、うちの街はつまらない」という意味として伝わる。 私が専門とする都市論でもこうした「個人専門店」の重要性は語られ続けてきたことである。例えば、ニューヨークの街を舞台に、人間にとって住みやすい街を探求し続けたジャーナリストのジェイン・ジェイコブスは、街路の活気にとって「個人専門店」がどれほど重要かを語っている。 そこでは大規模店にはない「人と人の信頼関係」や「交流」があるといい、その「信頼」をベースに街全体に活気が生まれてくる。
消費者が選んできたチェーン店
こう考えると、特に現在日本で進む「個人店淘汰」の流れは悲観すべきことかもしれない。けれども考えてみてほしい。 そもそも、なぜチェーン店はここまで増えたのか? それは、その商品の安さや逆に「誰にも話しかけられない」「誰とも話さなくていい」という意味での居心地の良さ、それらを求める消費者がいるからだ。 「昔ながらの商店街」にあるような「親密さ」とか「交流」はないかもしれないが、それとは別の「居心地の良さ」があることは確かだ。だからこそ、それは人々から受け入れられ増えてきた。 チェーン側はそうしたニーズに応えているだけでもある。その意味では、「個人店淘汰」の真の原因は、その消費者である私たち自身が選択した結果である、ということもできるだろう。 「チェーン店ばかりになると寂しい」というのと「チェーン店は入りやすい」という2つの気持ち。 この拮抗が、私たちの中を支配している。そんな気持ちを尻目に、様々な外的要因も相まって個人店は姿を消しつつある。私たちはどこかアイロニカルに、その状況を受け入れるしかないのだろうか。
谷頭 和希(都市ジャーナリスト・チェーンストア研究家)