【さよならフォーツー】25年の歴史と200万台超の生産台数を誇るスマートが「フォーツー」を引退させる
スマート フォーツー(Smart fortwo)、引退へ。しかし同時に、ブランドは新たな2シーターへの期待を高めている。200万台以上の生産台数を誇るスマートの25年の歴史を振り返る。
四半世紀以上の時を経て、最後の「スマート フォーツー」が2024年の復活祭の前の週に、フランスとドイツの間の無人の土地で生産ラインから姿を消した。
25年間、200万台以上の車を生産してきたメルセデスは、おそらく最もエキサイティングで、しかし間違いなく最も痛々しく(最も高価であったからだ)、同社の最近の歴史に一線を引いたのである。 1980年代に大都市向けのミニモービルの実験を始めたとき、彼らはイーロン マスクよりもずっと前から、モビリティ革命を起こし、電気自動車への道を切り開こうと考えていた。
しかし、時計職人のニコラス G ハイエックがスウォッチカーをVWに売り込み、シュトゥットガルトの門を叩いたとき、スイスの行動派がちょうどいいタイミングで現れた。スマートは、1997年にフランクフルトで開催されたIAA(フランクフルトモーターショー)で、”Reduce to the max”のスローガンを掲げてデビューを果たし、その直後、ジャック シラクとヘルムート コールがハンバッハでの生産開始を宣言した。
スマート フォーツー:衝突に強いボンサイ(盆栽)ベンツ
当初は電気駆動が見送られたとはいえ、このクルマには画期的な点が数多くあった。まず第一に、全長わずか2.49mという形式と、駐車スペースの保証が組み込まれていることだ。必要に応じて進行方向に対して直角に駐車しても、駐車違反切符を切られることはない。また、安全コンセプトも見逃せない。結局のところ、「ボンサイ ベンツ」は「Sクラス」と衝突しても大破しないほどの剛性を備えていた。 しかし同時に、メルセデスのモデルには、どんなに小さくても受け入れたくないものがたくさんあった。結局のところ、スマートは発売当時16,480マルク(約140万円)という高額で、同じく2ドア5人乗りの「VWポロ」よりも高価だった。 エンジンの音が悲惨だっただけでなく、ギアボックスは乗員をイースターバニーのように飛び跳ねさせ、時速100kmに達するのに18.9秒もかかり、スマートは「Aクラス」の後を追うヘラジカを追い越せないと揶揄されるほど遅いクルマだった。初代スマートは、チューインガム製造機やボールピットから飛び出してきたような、そして何よりもそう感じられるクルマだった。