「ダンプを丸坊主にできる。でも…」スーパーアイドルだった長与千種はなぜ“髪切りデスマッチ”を行い、負けたのか? 本人が明かした“悲劇の真実”
給料わずか1万円、経営者から浴びせられた言葉
そして中学卒業後に上京。全日本女子プロレス(全女)に入門をはたす。しかし、新人の生活はきらびやかなイメージには程遠いものだった。募集記事には「月収10万円」と書いてあったが、それはプロレスラーとして活躍できるようになってからの金額。初めての給料はわずか1万円だった。 また当時の全女には先輩後輩の極めて厳しい上下関係があり、ハードな練習とあらゆる雑用を抱えた新人の生活は過酷だ。しかも長与は、“オーディション外”で入門した身体も細い劣等生。巡業にも連れていかれず、その立場は最底辺だった。そのため、全女の経営者である松永兄弟からはいつも「お前はオシャカだ(使い物にならない)」「お前の代わりはいくらでもいる」と言われ続け、いつクビになってもおかしくない状態が3年続いた。 それでも長与は、持ち前の反骨心で先輩に対しても会社に対しても「いつか見てろよ」との思いを抱き耐えてきたが、肝心の試合も得意としていた空手技を先輩に禁じられ、袋小路に陥っていた。
好きなように殴り、好きなように蹴って…
そして’83年1月4日、後楽園ホールで組まれた同期のライオネス飛鳥との全日本シングル選手権の試合前、ついに全女を辞める決心をする。自分は必要とされてないんだから、これ以上ここにいても仕方がない。でも、辞めるなら最後くらいは自分の思い通りの試合をやってやろう。先輩の言うことを聞くのではなく、そういったしがらみをすべて捨てて、好きなように殴り、好きなように蹴って終わりたい。 試合前日、そんな思いを飛鳥に伝えると、意外なことに「わかった。好きなようにやろう」という言葉が返ってきた。ライオネス飛鳥は同期のトップランナーだったが、なんでもソツなくこなせるため、巡業マネージャーの松永国松から「おまえは強いけど試合がおもしろくない」と言われ、怒りとともに悩みを抱えていた。 こうしてそれぞれ異なる理由で鬱憤を溜めていた長与と飛鳥は、すべてを吹っ切るかのように闘い全力で殴り蹴り合うことで、これまでの女子プロレスにはない激闘を生み、後楽園ホールは異常な熱気に包まれた。するとプロレスラーとして覚醒した二人を全女首脳陣は見逃さず、辞めようとしていた長与を慰留。すぐさまタッグを結成させた。こうして誕生したのが、クラッシュ・ギャルズだった。
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