「ダンプを丸坊主にできる。でも…」スーパーアイドルだった長与千種はなぜ“髪切りデスマッチ”を行い、負けたのか? 本人が明かした“悲劇の真実”
スーパーアイドルになっても、気持ちは満たされなかった
機を見るに敏な全女首脳は、ここから掌を返すようにクラッシュ・ギャルズを大プッシュするが、それは他の選手たちのジェラシーを呼んだ。対戦相手の攻撃は激しさを増し、試合では生の感情がぶつかり合う遺恨マッチの連続となったが、それがプロレスとしてはいい方向に作用した。周りはすべて敵であり、たった二人でそれに立ち向かっていくクラッシュの姿は、会場に増え始めていた女子中高生ファンたちの心を強く惹きつけたのだ。 そして’84年8月25日の後楽園ホールで、クラッシュ・ギャルズは大森ゆかり&ジャンボ堀を破り、ついにWWWA世界タッグ王座を奪取。同日『炎の聖書(バイブル)』でレコードデビューをはたすと、その人気は一気に爆発した。会場はどこも超満員となり、さまざまなテレビ番組に引っ張りだこ。『明星』や『平凡』といったアイドル雑誌のグラビアを毎号のように飾るなど、押しも押されもせぬスーパーアイドルとなったのだ。 しかし、どれだけテレビや一般誌で取り上げられても、長与の気持ちは満たされなかった。当時、新日本や全日本といった男性のプロレスと女子プロレスは“別物”と考えられており、男のプロレスファンから女子プロはプロレスと認められていなかったフシがある。そのため、女子プロレスがいくら社会現象になってもプロレス専門誌の表紙や巻頭を女子レスラーが飾ることはなかった。長与はなんとしてでもそんな状況を覆そうとしたのだ。
“敗者髪切りデスマッチ”の裏で、長与が本当に考えていたこと
自分たちのプロレスを認めないのなら、力ずくでも認めさせてやろう。’85年8月28日に大阪城ホールで行われたダンプ松本と長与千種の敗者髪切りデスマッチは、そんな思いの中で行われた。敗者はリング上で丸坊主にされるという、女子だからこそ残酷性がさらに高まるこの試合形式。長与は、ダンプの度重なる反則の凶器攻撃で血だるまにされ、最後はKOで敗れ去った。 試合後、パイプ椅子に鎖で巻かれた長与は、顔面血だらけのままダンプにバリカンで髪を切られた。その公開処刑のような残酷な光景に会場の女性ファンは泣き叫び、テレビ局には抗議の電話が殺到。その抗議電話の数は人気絶頂でありながら関西地区の月曜7時枠のレギュラー放送が打ち切りになるほどだった。長与とダンプの試合は、いわば放送コードをも超えていたのだ。 そんな髪切りマッチをあえてやった理由を長与はのちにインタビューした際、こう語っている。 「勝敗だけを考えるなら、勝てばよかったんですよ。勝てば自分の髪を切らずにダンプを丸坊主にできる。でも、『自分が勝ったら歓声しかないだろうな』とも思ったんです。これがもし自分が負けたら、きっと会場中がものすごい悲鳴に包まれる。一体どうなってしまうだろう? そんな、試合に勝った場合、負けた場合に起こることの両方を想像して楽しんでいた自分もいました。ある意味でサイコパスですよね」
血だるまの丸坊主にされ…長与千種が勝ち取ったもの
この大阪城ホール大会の翌日に発売された『週刊プロレス』では、長与がダンプに髪の毛を切られるシーンが表紙となった。『週プロ』で女子プロレスがメインの表紙になったのは、この時が初めて。これは紛れもなく、長与千種が勝ち取ったものだった。 髪切りマッチで血だるまにされ丸坊主にされた長与千種は観客と視聴者の視線を独占した。はたして真の勝者は誰だったのか。それは言うまでもないだろう。負けることの意味と、プロレスにおける逆説的な勝敗の重要性を誰よりも理解していたからこそ、あの時代の主役は長与千種だったのである。
(「ぼくらのプロレス(再)入門」堀江ガンツ = 文)
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