まさに英雄! 海外クラブを救った伝説の日本人選手(4)日本屈指のテクニシャン! 「太陽」と呼ばれレジェンドに
優勝や昇格、残留…。クラブにとって重要な局面で結果を残す選手は、自ずとサポーターの記憶に深く刻まれるものだ。それが欧州に渡った日本人選手であるならば誇らしいことこの上ない。今回は、海外クラブを救い、英雄的存在となった伝説の日本人選手をピックアップして紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照
MF:松井大輔(まつい・だいすけ) 生年月日:1981年5月11日 救ったクラブ:ル・マン(フランス) 通算成績:130試合17得点18アシスト プレミアリーグやラ・リーガとは違い、リーグ・アンは独特なフィジカルバトルが特徴的なリーグ。とくに、小柄な日本人選手にとっては適応が難しい舞台でもある。そんなフランスの地で、かつて輝きを放っていたのが、日本代表としてワールドカップ(W杯)にも出場した経歴を持つ松井大輔だ。 京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)でプロデビューを飾った松井は、2004年9月に当時フランス2部に所属していたル・マンに加入。この時チームは中位につけていたが、シーズン途中のフレデリック・アンツ監督の招聘も功を奏し、最終的にはリーグ戦2位フィニッシュで1部への自動昇格を掴み取っている。繊細なテクニックやパスを武器に中心選手として活躍していた助っ人の松井は、“ル・マンの太陽”という異名でサポーターから愛された。 松井は1部でも能力を遺憾なく発揮。昇格1年目の2005/06シーズンには日本人選手初となるリーグ月間MVPを受賞し、8アシストでアシストランキング3位につけるなど残留の立役者となった。2007/08シーズンにはキャリアハイとなるリーグ戦5得点をあげており、チームの1部トップ10入りに貢献。その活躍が評価され、翌シーズンには古豪サンテティエンヌにステップアップを果たしている。 ル・マンは2009/10シーズン以降1部の舞台から遠ざかっており、現在は3部に所属している。松井が在籍していた当時が黄金期だったと言っても過言ではなく、そう言った意味でも日本人アタッカーはまさにレジェンドだ。2009年に英メディア『フットボール365』が紹介した「ル・マン夢のラインナップ」では下部組織上がりのディディエ・ドログバや元アーセナルのジェルヴィーニョらと共に松井の名も挙がっており、このことからもクラブにとって重要な存在だったことがわかる。
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