荻野アンナ「母娘、愛と憎しみは背中合わせ。共依存に苦しみながら看取った今も絆は続く」
◆ゾッとする未来を思い描いていた母 母の中には、母親という人格のほかにもう一つ、画家としての人格があります。このことが、私たちの関係性をさらに複雑化していたようです。 忘れもしない、「ダクト事件」というのがありまして。私は暑いアトリエで絵を描く老いた母のために、エアコンを取りつけようと考えました。母にはアトリエに手を入れたくないという鉄の意思があったため、思案してたどり着いたのが、工事が必要ないスポットエアコン。 しかしいざ設置すると、排気用の太く長いダクトが部屋を横切ってしまう。それが美意識の高い母には許せなかったのでしょう。「こんなところで絵が描けるか」と言われてしまったのです。 好意を踏みにじられた私は咄嗟に「それくらいのことで描けなくなる絵なら、描かなきゃいいじゃない」と、捨て台詞を残して出かけてしまいました。 帰宅すると母の頭からは湯気が立っていて、「おまえも偉うなったもんやな」とチクリ。私が娘として言い放った言葉に、母は画家としてのプライドを傷つけられて怒り狂っていたのです。結果、私は土下座をして許しを乞いました。
今でも、もしも作家にならなかったら……と考えることがあります。絵は好きだけど画家になれるほどの才能のない私は、おそらく一緒に暮らしながら母の絵の下塗りをしていたでしょう。考えただけでもゾッとします。でも母は、その未来を思い描いていた節があるのです。 母と別の道に進むことによって、私は救済された。母の望み通り彼と別れていたら、作家として成立しなかったとも思います。とはいえ、濃密な関係性にピリオドが打たれたわけではありませんでした。 愛と憎しみは背中合わせだと思います。あるときは表現できないくらい愛おしくて、あるときはこのうえもなく憎たらしくて。足して2で割れればいいのですが、そうはいかず……。距離が必要だと本能的に感じた私は、電話でやりとりするようにしていました。 でも、母は執拗に距離を縮めてきます。毎朝、携帯電話には母からの着信履歴がズラリと並んでいる。無視したいのに母の寂しさが伝わってきて、私はイソイソと実家へ向かってしまうのが常でした。 だからといって優しい言葉をかけることはしない――というより、近すぎてできないのです。母は母で嬉しさを表現するわけでもなく、私のパートナーの批判など言いたい放題。しかも私が最も嫌がる言葉を投げかけてくるので、その挑発に乗って私もひどい言葉を返してしまう。 「ママのせいで私は結婚できない、子どもを持つこともできない」と、強く責めてしまったこともありました。あれはかわいそうなことをしたと思うのですが、私はただ、「ママの意思を尊重したんだよ」「それくらいママは大切な人なんだよ」と伝えたかっただけ。だから母が一言、「わかってる」と言ってくれれば、それでよかったのです。 でも母は、口をへの字に曲げたまま黙っていた。私はとんだ甘ったれ、正直すぎる母は不器用なのだと思いつつ、それにしても共依存の苦しみはいつまで続くのか? と、暗澹たる気持ちになったのを覚えています。
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