学校現場への影響も甚大「共同親権」何が起こる? 進路選択や特別支援、不登校対応なども混乱か
学校で予想される混乱、子どもは夢を諦めざるをえない場合も?
このままでは、病院や学校、自治体等の関係先も慎重になって、両親の同意や裁判所の許可がない限り、受け入れなくなる可能性がある。子どもの大切な進学や進路は、土壇場で決めればいい類のものではないし、緊急入院以外の難病やがん等の手術が必要なこともある。 裁判所の判断を待っていては手遅れになる場合も多く、子どもは進路や夢、治療を諦めざるをえないだろう。受験の出願の前日になれば「急迫」かもしれないが、それまで子は不安な状況に置かれ、長期的な計画も立てられない。子どもの自由は大幅に制約されることになる。 学校ではさまざまな混乱が予想される。 進路選択、支援の必要な子どもへの対応(特別支援学校か特別支援学級かなどの選択、障害のある子への合理的配慮など)、不登校児童への対応も、「日常」の行為であれば、どちらの親も単独で決めることができるし、「日常」でなければ双方の親の承諾が必要となる。しかし、何が「日常」かはいまだ曖昧だ。学校への提出物も、「日常」か否か神経を使うことになるだろう。 両親の意見が合わなくても子どものために早急に決めるべきことは多々あり、適切な対応がないまま放置され傷つくのは子どもだ。例えば、子どものパスポート発給には両親の同意が必要とされるため、海外への修学旅行に行けない子どもが出てくる可能性もある。 進路面談などに別居親が同席したいと言った場合、どうするか。同居親がDVなどの被害者で恐怖しているなら、同席は当然のことながらすべきではなく、学校は調整を余儀なくされるだろう。
各種給付が受けられず「子どもの貧困」が進む懸念
共同親権となった場合、これまでひとり親に出されていた各種給付が受給できなくなることも懸念される。 例えば、高等学校の就学支援金は、保護者の収入に基づいて受給資格が認定されるが、「保護者=親権者」とされるため、共同親権下では両親の収入に基づいて判定が行われるという。DVなどで別居親に学費などの負担を求めることが困難と認められる場合は例外的に親権者一人で判定するとの答弁があったが、DVなどの立証責任は同居親が負うことになる。 しかし、そもそもDVの場合は共同親権にしてはならないと法は規定しており、そこからこぼれ落ちてしまった被害者、例えば「DVの証拠が示せなかった」「協議離婚で共同親権を余儀なくされた」「モラハラなどの被害に遭ってきた」といった被害者が立証責任を負うのは酷だ。DVはなかったという推定を覆す強力な証拠を提示できる例はまれだろう。その結果として、苦しむのは子どもである。 このほか、親の資力などが要件となっている各省庁の支援策については、各法令を所管する各府省庁が個別に検討する事柄だとして、法務省は国会で責任ある答弁をしないままだった。やむなく共同親権にした揚げ句、別居親が子の学費負担などに協力しない場合、ひとり親家庭は一層の窮地に立たされかねない。 このように共同親権制度を導入した結果、子どもやひとり親家庭の支援を受けられない事態が必然的に生じ、子どもがさらに貧困に陥る懸念がある。子の福祉という制度趣旨に基づき、給付減となる事態が起きぬよう、制度や運用の改革は必須だ。 何より、この制度は過去20年以上にわたって築き上げてきたDVや虐待の被害者保護と安全のための諸制度(保護命令、避難者支援、被害者の住所秘匿等)を後退させる危険が大きい。 DVや精神的虐待などの被害に遭いながら子を養育している者に最も必要なことは、その場から逃げることだ。しかし、逃げたことが「急迫」であったかどうか裁判所によって判断されるという現実は、ただでさえおびえている被害者の足をすくませてしまうだろう。法律上「急迫」の事情がなければお前は逃げられない、逃げたら誘拐犯だなどと、暴力をふるう配偶者に脅され、逃げられない心理状態に陥ることも考えられる。 さらに、証拠がないためにDV・虐待として認定されずに共同親権と決定された場合、加害者が被害者の居所や子どもの学校をつねに知ることができ、子に関係する重要な決定にも加害者が関与できる、という最悪のシナリオとなる。これまで確立した被害者保護は全面的に後退し、被害者は離婚後も加害者の支配から逃れられなくなる。 離婚に至る家族では多くの場合、力関係を背景とする加害・被害の関係がある。この法律が、子どもや被害者に深刻な悪影響を及ぼし、加害者に新たな「凶器」を与えるリスクは甚大だ。