「うちは乞食じゃねえんだよ」事務所社長が激怒した 熊切あさ美の「熱愛スキャンダル」の真相
2週間のホテル暮らし
――ホテル暮らしはどれくらい続いたのでしょうか。 2週間くらい続いたら、それもしんどくなってきて、親友の家に1週間くらい住んで、その後、引っ越して新しい生活がスタートしました。 ――どのように立ち直ったのでしょうか。 中途半端な形だったら、立ち直れなかったと思うのですが、あそこまでの終わり方をされると、1つも思い出が残らなかった。ですから、楽は楽でした。全く未練はありません。 ――報道は見なかったですか。 テレビは見ることができなかったですね。社長は毎日、スポーツ新聞だけは買ってきて、全部捨てていました。 ――報道合戦もすごかったですね。 私のことはよく「売名」と報道されました。でも、自分としては全然そんなつもりはありません。メディアの人から情報の出所を教えてもらったのですが、本当に腹が立ちました。 ――芸能界の知り合いも離れていった感じですか。 そうですね、でも、北斗晶さんだけがすごく優しかったです。北斗さんも病気を患って一番辛い時期だったと思うのですが、毎日電話をくれて、「うちに来い」「ご飯食べてるか」と言ってもらいました。テレビに出演した時も擁護してくださって、本当に救われましたね。 ――外部の人とは連絡を取っていたのでしょうか。 社長から「マスコミの人からの可能性もあるので、誰からの電話も出ちゃダメだよ」と言われていました。どの人までを信用していいかわからなかったんです。唯一連絡を取っていたのは、北斗さんと親友だけでした。
芸能界をやめなかった理由
――世間からの誹謗中傷とかは耳に入ってきましたか。 情報を遮断していたので、最初はわからなかったです。でも、ちょっと元気になるとヤフーのコメントを見ちゃって……。 ――いかがでしたか。 見たら、ほとんど悪口でした。でも、たまに、私に対して優しいことを書いてくれる人がいたんです。それを親友に伝えたら、「それ、私だよ」と言われて……。私に関するいいコメントは、全部友達が書いてくれていました。 ――辛い出来事でしたが、芸能界には残られています。 やっぱり長いこと芸能界にいてよかったなと思っています。昔から知っている芸能界の方は味方してくださいました。 ――芸能界をやめなかったのはなぜでしょうか。 あの時にもしやめていたら、向こうの言い分が本当になって、自分がただのバカ女で終わっていたと思います。今は完全に立ち直りました。 ――やはり、男運は悪いのでしょうか。 すごく悪く見られますが、結構いいんですよ。でも、あんな騒動があって、絶対、次は見つからないと覚悟していましたが、意外といい人が現れてくれるんです。 第1回では、事務所を移籍して気持ちを新たに、今後の活動について語る。 熊切あさ美 1980年、東京都杉並区出身。1998年、アイドルグループ「チェキッ娘」でデビュー。女優やタレントとして活動する。 デイリー新潮編集部
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