広島・長崎に落とされた原子爆弾とアフリカの知られざる関係
溝辺 泰雄(明治大学 国際日本学部 教授) 核兵器の開発や保有、使用などの一切を禁止する核兵器禁止条約が2021年1月に発効してから3年の年月が経ちました。アメリカやロシア、フランス、中国といった核保有国に加え、戦争被爆国である日本も含めて不参加国が多いのが現状ですが、アフリカに目を向けると、大半の国が核禁止条約に参加しているという事実に気が付きます。
◇日本に落とされた原爆のウランはコンゴで採掘された 2024年9月現在、核兵器禁止条約に署名または批准(もしくは加入)している国および地域の数は98ですが、そのうちの約3分の1をアフリカの国々が占めているということをご存知でしょうか。ヨーロッパや中東、南アジアの国々の多くが同条約に参加していない一方で、アフリカは55カ国中33カ国が署名または批准しているのです。 もちろん国際政治上の現実的な力学として、アフリカ諸国が非核保有国であるということは影響しているでしょう。ですが、近現代史をひもといてみると、アフリカは植民地支配からの独立と共に、世界的な核廃絶の流れをリードしてきたという背景が見えてきます。 そもそもアフリカにとって核兵器は、大国が押し付けた植民地主義と表裏一体であると言えます。たとえば、1945年にアメリカ軍が広島と長崎に落とした原子爆弾の原料であるウランの多くは、中部アフリカのベルギー領コンゴ(現在のコンゴ民主共和国)で採掘されたものでした。 コンゴのウランはベルギー統治期の1915年に南部のカタンガ州シンコロブウェ鉱山で発見されました。当初はさほど注目されていませんでしたが、1930年代後半に核分裂反応が発見され、第二次世界大戦が勃発すると状況は一変し、欧州列強間でウランをめぐる争奪戦が起こりました。 当時、ウランの主要産地はチェコスロバキア(現在のチェコ)とコンゴでしたが、チェコの鉱山はドイツの支配化に置かれていたため、アメリカは同盟国のイギリスの支援を得て、ベルギーの鉱山会社と交渉し、シンコロブウェ鉱山のウランの大部分を確保しました。 そして、1942年にマンハッタン計画で原爆開発が本格化して以降は、シンコロブウェ鉱山にアメリカ軍の技術者が入り、廃鉱にされていた鉱山も発掘して3700トンものウランが秘密裏にアメリカへ輸出されました。原爆開発を隠すため、シンコロブウェは地図から消され、現地住民に採掘現場を知らせないよう偽の情報を拡散させるスパイまでもが投入されたといわれています。 一方、コンゴでウラン採掘に動員された人々の境遇は悲惨でした。三交代制で昼夜を問わずウランの採掘に当たらされた彼らは、何を採掘しているのかさえ知らされず、防護服も供与されませんでした。そのため、多くの人々が許容量を超える放射線に被曝したのです。 また、汚染された土壌や飲用水によって、鉱山周辺の住民にも甚大な健康被害が及びました。これらの被害は植民地体制の中で隠蔽され、コンゴの独立後も長らく被害者の声はかき消されてきました。 さらに、アフリカと原爆の関係は原料の供給源としてだけではありません。核兵器は、アフリカ大陸においても使用されました。