ドリブルの立教。サッカーか。いえ、ラグビー。95年前に旋風を起こした。
1929年。昭和4年。世界恐慌の年。立教大学ラグビー部が関東を制する。慶應大学戦はともにスコアなしのドロー。早稲田大学と明治大学を破った。順位は「立明慶早帝」。帝とは東京帝国大学、東大である。
関西王者、京都帝国大学との定期戦がなく、対戦を申し出るも断られた。よって「全国制覇」とは認められぬものの実質の日本一にも近かった。
「マスドリブルの雄、立教大学ラグビー部」
そんな記述が『日本ラグビーデジタルミュージアム』収蔵の文献に見つかる。「立教。ドリブル」で検索をかけたら、たちまち出てきた。
当時のお家芸である。複数でボールを囲んで足元に吸いつくようなドリブルを仕掛けた。技術さえともなえば、守るほうは手出しがかなわず、効果的な前進法だった。
戦前の貴重な記録の『日本ラグビー物語』(早稲田大学体育会ラグビー蹴球部創立三十周年記念出版)には以下の表現もある。
「立教の優勝チームのプレー振りは、『怒涛の如く』という形容詞は不向きな、繊細で軽妙なプレーであった」
さらに、こうも。
「このシーズンは、今日までの日本ラグビー史を通じて、後にも先にも唯一度立教が関東の覇権を掌握したという異例のシーズンであった」
同書は體育出版社よって1949年9月20日に発行された。75年前に書かれた一節の内容は現在も生きている。
さて2024年9月22日。立教は筑波大学との接戦を落とした。23-29。
先制トライを奪い、直後のリスタート後のアタックで反則をおかす。ここまでは「下位校によくある流れ」である。しかし、ゴール前ラインアウト起点の筑波のモールをよく防いで、落球させた。
よい(スコア)→よくない(P献上)→よい(スコアさせず)。こう記せば簡単なようだが、いざ芝の上では難しい。ずっと「よい」ならまれなるチャンピオンだ。多くのチームは「よくない」のあとの踏ん張りで波を引き寄せる。
立教、力をつけた。統制と思い切りのバランスのとれたライン防御。激しく挑みつつ焦らずに陣地獲得を狙うゲーム制御(SO中優人)。畑に咲く花のごときラン(FB大畑咲人)。スクラムこそ劣勢でも他の領域では最後まで引かなかった。