「引退勧告」でもベンチで勝負 国士舘・山崎銀治郎マネジャー センバツ交流試合
2020年甲子園高校野球交流試合第4日の第2試合に登場する国士舘(東京)の山崎銀治郎マネジャー(3年)は昨春、先天性の心臓病で事実上の「引退勧告」を受けた。選手の道は諦めざるを得なかったが、支える側で「高校野球」をやり抜いた。集大成となる交流試合。この一戦に懸ける気持ちは選手にも負けない。 【写真特集】センバツ交流試合の全ホームラン 中学時代は軟式野球部で投手など中心選手として活躍した。肘のけがで野手に転向したが、かつて父伸さん(55)もプレーした国士舘に進み、野球部に入部。父がなし得なかった甲子園出場を目指し、練習を重ねた。 転機は突然訪れた。2年生に進級する少し前。定期検診で「部活を1年間控えて様子を見てほしい」と医師から告げられた。生まれつき心臓のポンプ機能が弱いとされる「修正大血管転位症」だったが自覚症状はほぼなく、それまでは運動しても何の問題もなかった。 ちょうどチームは春のセンバツに出場。部活を1年間もできないのは「高校野球は終わり」と言われるに等しい。ショックで退部も頭をよぎった。だが、「どんな形でも野球部を最後まで続けてみろ」と両親は激励。永田昌弘監督からも「一緒に頑張らないか」と背中を押され、マネジャーとしてチームを支える決意を固めた。 予想以上の忙しさだった。練習の補助やスコアブックの記入、成績のデータ入力は当たり前。洗濯や来客への応対も仕事だ。仲間たちが前向きになれる声かけとは、と考え込むことも。でも「選手が試合で勝つ姿を見るとうれしくなる」。思ってもみない変化だった。 「気を付ければ選手に復帰しても構わない」。今春の定期検診で医師の許しが出た。うれしかったが悩んだ末、マネジャーにとどまることにした。縁の下の力持ちとしてのやりがいを大切にしたかった。新型コロナウイルス禍で一度は断たれた甲子園への道が、交流試合で開かれた。記録員としてベンチ入りする晴れ舞台。「感謝の気持ちでいっぱい。選手と一緒に最高の舞台を楽しみ、勝利のために声を出したい」と心を弾ませる。【川村咲平】