阪神、日本ハムなどで活躍の坪井智哉が引退表明
「そうだな。近い将来か、遠い将来かわからないが、あそこでなぜ挑戦しなかったのかという後悔はしたくない」。坪井は妻に相談したが、家族も「気がすむまでやって」と賛成してくれた。坪井は、そうしてロマンを追ったが、待ち受けたアメリカの現実は、あまりに厳しかった。「他のチームでもと考えたが、このリーグが独立リーグの中では一番レベルが高く、ここからレベルを落としたところでやっても上への可能性はない。ただ野球がやれればどこでもいいという考え方で、ここに来たわけじゃない。不可能かもしれないけれど、夢を追った挑戦だったし、その可能性がなくなって使われないなら、もう野球をやる意味がない。ここまで甘えさせてもらった家族の生活もある。後悔はない」。 試合に出られなくなった頃、ニューヨークまでイチローを訪ねた。自らの進退の相談はしなかったが、ヤンキースタジアムのフィールドに立つ、その姿を見て思うことはあった。「イチローは、しなやかで綺麗だった。惚れ惚れするほど、かっこいい。でも、そのイチローでさえ、『今は、試合前にメンバー表の下から見る』と言う。僕もヒットを打つことに関しては、まだいけると思っていた。でもメジャーの野球を見るとレベルが違っていた。独立リーグの上にトリプルAがあって、その上にこのメジャーがある。プレースタイルが監督に好まれないと言っても、その独立リーグで、こんな使われ方しかないのに、ダメじゃんと思った」。 阪神でプロ野球生活をスタートした孤高のバットマンは、静かにアメリカで17年間のプロ生活にピリオドを打ちバットを置く決意をした。 「人生勉強」とも考えて渡ったアメリカでは日本では考えられないような数々の体験をした。まるで草野球場のようなスタジアムで試合をし、時には、水平でないゆがんだバッターボックスに立ったこともあった。ランカスターでは、一日、7ドルのクラブフィーを払って、贅沢とは対極にあるようなチープな食事を食べながら暮らした。