「推し」について語って気づく「自分の人生も捨てたもんじゃないな」 主体的に楽しむことの効用とは?
たとえば、SNSを通して出会った友人と推しについて話しているとき、まさか共感してもらえると思ってもみなかった点を理解してもらえて感動したことがあります。 ブログに自分の好きな小説について書いて、予想以上に多くの人に読んでもらえて「自分が本当に感じていることを言葉にしたら、人に伝わるんだ!」と思えるようになりました。 あるいは、大好きな漫画の批評をネットに発表したことで、好きなものを好きって、もっと言っていいんだと自信をもらいました。
推しについて語ることで、自分で自分自身について語るよりももっと多くの、自分についての情報を得られるのです。 ……と、こんなに推し語りを礼賛していますが、それでも結局推しってただの消費行動じゃん、って言われることもあります。 たしかに、ただ推しのゲームやライブや舞台の観客として──つまり消費者として楽しむだけなら、それで終わりかもしれません。 でも、自分から推しについて語ったり、推しについての文章を書いたりすることで、推しを主体的に楽しむことができるんですよ。
推しについて、提供側が想像しなかった魅力を楽しんでいることを発信できる。推しを通して、能動的に人生を楽しんでいるんだと言うことができる。 他人の言葉に惑わされず、自分自身の推しについて、たくさん言葉にしてみましょう! きっと、推しに出会えた人生について語ったあなたの言葉が、いつかあなた自身を楽しませる日がきます。 「ああ、こんなに好きな存在がいたんだなぁ」って懐かしく、嬉しく思う日がくるはずです。
三宅 香帆 :文芸評論家