「ホテル三日月」経営危機からベトナムで復活の訳 日本企業が続々躍進「加速経済ベトナム」のいま
■5つ星ホテルの概念を覆す施設とコロナ禍 ホテルの建設にあたっては、「あとから進出する企業は、すでに進出している企業にないものを高品質かつ安価に提供すればいい」という方針の下、「和」のテイストを盛り込みながら、ホテル三日月グループならではのノウハウを随所にちりばめていきました。 全天候型スパドームや親子3代をメインターゲットにしたおもてなし、全室露天風呂付き・全室オーシャンビュー、最小でも69.5㎡とゆとりのある客室などをウリにした施設に仕上げていったのです。(105ページより)
つまりは日本型のスタイルを用いることで、従来の5つ星ホテルとの差別化を図ったということだ。しかし開業に至るまでには幾多の苦難もあり、その際たるものがコロナ禍だった。世界中のレジャー産業に絶望的な打撃を与えたコロナ禍は、ホテル三日月グループにも戦いを強いることになったのである。 そのきっかけとなったのが2020年1月に実施した中国・武漢からの政府チャーター機第1便の乗客(日本人帰国者)の受け入れだ。中国政府が武漢市と近隣15市・州の公共交通機関の停止および駅・空港の閉鎖を発表したため、日本政府はチャーター機などで現地にいる日本人の希望者を全員、帰国させることを決定。羽田空港と成田空港周辺の大手ホテルチェーンに受け入れを打診した。
だが、その時点で日本では新型コロナウイルスの感染者がまだひとりも出ておらず、大手のホテルチェーンは軒並み政府からの依頼を拒否した。その状況を知った小高氏は「それならホテル三日月がやらなければならない」と決断。「社員と地域住民の健康を守ることができるか」と不安はあったものの、千葉県、受け入れ先である勝浦スパホテル三日月の地元である勝浦市や病院などと相談しながら、安全性を担保するための連携態勢をスピーディに構築した。
そして、その上で社員たちに「武漢チャーター機の帰国者を受け入れたい」と話したところ、パートから若手社員、ベテラン社員までが一丸となって賛同してくれたので、「この一大決心を実行に移すことができた。本当に素晴らしい社員たちに恵まれたと実感した」と小高さんは話します。(108ページより) かくして1月29日から約2週間にわたり、勝浦スパホテル三日月で191名の帰国者を受け入れた。ところが、当日になって当初の予定(100名)より多くの人々を受け入れることになったため、客室はキャパオーバー。しかも、そののち羽田空港での検査態勢の不備から、ホテル内で国内初の無症状の陽性患者が出てしまう。そのため、あたかもホテル三日月の誤った対応のせいで陽性患者が出たかのような風評被害にも悩まされることになる。