タイ在住、“お坊さん”の顔も持つ異色のプロ・中村映禅にインタビュー。ゴルフや師匠・奥田靖己との出会いとは?
ゴルフ王国タイランドに住み“お坊さんプロゴルファー”としてさまざまな顔を持つ中村映禅(本名・晃也)。この男の、何とも摩訶不思議な、味わい深い人生とは、そして本願とは――。 中村映禅プロのドライバーショット
実家は奈良にある650年続く浄土宗の寺である。中村映禅は、その寺「西迎院」の24代目になるつもりで幼き頃から生活していた。 「お坊さんにもピンからキリまでおって、素晴らしい方から飲み歩いている方までおります。うちの親父はホンマに尊敬できるお坊さんで、僕もそうなりたい思うて生きていたんですよ」 しかし、大学を卒業する頃、「ややこしい世界やな」と思い始めた。 「浄土宗の法然上人言うたら800年くらい前の人。お釈迦さんもそうやけど、そのお言葉を信じて、皆さんに仏教を説く。お坊さんは橋渡しの役目やないですか。でも仏教って見えないから難しい。」 やればやるほどわからない世界になってくるのだという。
「いろんな書物を読んで賢くなることはもちろんやけど、仏さんが実際今でも実在している遠い世界があって、そこに命が終わったら行くために、今ここの人間の世界で修業している。そこに橋渡しの役目をするわけやから、お釈迦さんのご名代になる。だからキンキンランランのお袈裟を着るんです。でも、僕は修行して資格は取らせてもろうたけど、ホンマに代わりになっているんか。はっきりとお伝えする自信がなかったんです。うちはお寺で言うたらむちゃくちゃ立派なエエ血筋。皆立派やけど、僕一人超取り残されている気になって。自分のなかではムリやわ、しんどいわと思って」 さて、ゴルフとの出合いだ。野球少年だった中村。甲子園の常連で浄土宗の系列でもある上宮高校に進学するも、1年時にケガで野球を断念。高2の頃友人とともにゴルフを始めた。すぐにハマった。 「佛教大学に進んだのでゴルフ部はないんです。でも、プロになろうと思っていました」
ゴルファーとして「ゴルフはアイテム。生きるための、最強の!」
お坊さん家業も行いながら、日本プロゴルフ協会のティーチングの資格を取得、ツアープロ目指し、27歳にはQTサードまで進んだ。タイとの出合いもこの頃である。 「25歳の頃、奈良県の若い坊さんの研修で選抜されてアユタヤでプチ修行。当時は嫌々でしたわ。でもそのとき初めて、タイがゴルフ大国で、タイガー・ウッズのお母さんがタイ人やと知った。それでまたすぐにタイに来て、シンハー(ビール)のツアーのQTを受けて通ったんです。お坊さんもやりながら日本とタイを行ったり来たりしてタイの試合に出ていました」 タイでのゴルフは最高に気持ちよかったという。 「鳥の鳴き声、空気感……直感的に合うなあ、好きやなあ、こんなところでずっとゴルフできたらなあと。それに日本ではお坊さんでもあるから急に『お葬式やから帰ってこい』いうこともあってね」 30歳頃からはお寺の仕事が多くなり、モヤモヤも続いていた。