スポーツから学んだチームプレイ、ロジカルな思考力。アスリート人材が社会に出てからも活躍するワケ
アスリート人材はなぜビジネスで求められるのか
実は、松本さんも元甲子園球児の“アスリート”だったという。 「私は小学生の頃から野球に打ち込み、高校時代は日本大学第三高等学校(日大三高)の中心選手として1994年春に甲子園出場を果たすことができました。その事実だけを取り出せばエリートだと思われるかもしれませんが、私は決してそうではありませんでした。 高校時代の実績を評価されて法政大学野球部に進みましたが、故障もあり、思うような成績を残すことはできず、卒業する時点で私はアスリートとして生きることを断念しました。その後は住宅メーカーの営業マンなどを経て、現在は『地主の参謀』として、地主や富裕層、経営者を中心に資産防衛コンサルティングに従事しています。 ビジネスの世界に身を置いて、たくさんの元アスリート、体育会OBとお付き合いしてきました。なかには競合企業のライバルもいれば、尊敬すべき先輩もいました。私が尊敬するアスリート人材の多くは、冷静に自分を分析する力を備えています。 相手にあって、自分にないものは何か? 相手との実力差がどのくらいあり、何をすればそれを埋めることができるのか? 日々、何をすればどのくらいで追いつくことができるのか? 自分だけのストロングポイントは何か? 次のステージに進むためには何が足りないのか? 冷静な目で自分を見つめながら、武器となるものを探し、それを地道に磨いている。現実をきちんと認識したうえで真摯に自分と向き合い、深く考える力を備えている人ばかりです」(松本さん)
一人のミスは誰かがカバーする。野球から学んだチームプレイ
松本さんが尊敬する先輩の一人に、現在、住宅の建設・販売メーカーで営業本部次長を務める佐藤友亮さんがいる。佐藤さんは、高校野球の名門や強豪が多い神奈川県の桐蔭学園野球部の外野手として、1992年夏に甲子園出場を果たした“アスリート人材”だ。 1992年夏の甲子園と言えば、星稜高校の松井秀喜選手が5連続敬遠された年。同じ桐蔭学園のチームメイトには高橋由伸選手もいて、そんな選手たちのなかでレギュラーを獲得したのだ。佐藤さんは大学まで野球にのめり込み、卒業後は住宅の建設・販売メーカーを就職先に選んだ。佐藤さんに話を聞いた。 「はじめに担当したのは個人用戸建て住宅の販売で、私は月に2棟くらいずつ売って、全国1位を何回か取りました。高校時代に培った、相手の気持ちを読む力が役に立ちましたね。 30歳になってからはプレーヤーとしてだけではなく、店長のようなマネジメントも任されるようになり、自分でセールスしながら、チームのクレーム対応もフォローしました。 何かトラブルやクレームがあればみんなで対応する、ミスをみんなの力を合わせてカバーするというのは、野球部の時の同じかもしれません。体育会に所属した人、アスリートとして勝利を目指した人の長所は仲間を大事にできるところだと思います。 楽しい時は簡単ですが、苦しい時、ピンチに陥った時にそれが試されます。私はずっとチーム競技をしてきたので、特にそう思うのかもしれません。一人がミスをした時には、ほかの誰かがカバーをする。それをさりげなくできるのが体育会OBのいいところです」(佐藤さん)