なぜ「車椅子ユーザー」の炎上が頻繁に起こるのか。日本と海外で“決定的に違う”こと
日本では「車椅子の人=何も出来ない人」と捉えられる
日本と海外では、車椅子ユーザーの発信の仕方に大きな違いがあるという。 「海外の“車椅子インフルエンサー”は、基本的にポジティブなんですよ。『この段差はこういう風にすれば乗り越えられるよ』とか『車椅子でもこんなことができるようになった!』というような、前向きな発信が多いと感じます。 大会の海外遠征などで、度々海外の人たちと触れ合う機会がありますが、彼らの多くは“できないことは助ける”というスタンスで、健常者だから、障害者だからという垣根は、基本的にありません。日本だと『車椅子の人=何も出来ない人』という扱いで、出来ることでも出来ない扱いをされて、居心地の悪さを感じることもしばしばあります」 健常者でも車椅子の人でも、「困っている人がいたら手を差し伸べる」。そんな当たり前のことが、日本だと仰々しい振る舞いになってしまっていると廣道さんは指摘する。 「日本でも『何か手伝いましょうか?』と声をかけていただくことはいっぱいあります。僕は大体のことは自分でできるので、『ありがとう、大丈夫です!』と言うことの方が多いですが、その声かけをきっかけに『この車椅子でレースにでるんですか?』とかの会話が始まるんですよ。 そういったコミュニケーションを前提にした介助だと、双方ストレスなく、気持ちの良い経験になりますが、マニュアル化されてて、『仕事だからやっている』というスタンスの介助は、やはりこちらのニーズと噛み合っていないことが多い。 たとえば『荷物も一人で持てるし、ここまでは一人でいけるから大丈夫』と伝えているにも関わらず、決まりだからと大声で『車椅子が通りまーす!』と言って、道を開けさせて、乗り継ぎの場所まで着いてこられて何だかなあ……という気持ちになったことも過去にはありました」
大きく異なる日本と海外の教育現場
まずは車椅子ユーザーが何を求めているのかを考え、「どこまでの介助が提示できるのか」ということをすり合わせるのが重要なようだ。 「車椅子ユーザーへの理解が深まらない理由としては、やはり生活の中に、車椅子の人と触れ合う機会が圧倒的に少ないことが挙げられると思います。2022年には国連の障害者権利委員会が、日本の特別支援教育の体制について勧告を出しましたが、海外では障害のある子供もない子供も一緒のクラスで授業を受けている国がほとんど。 幼少期から当たり前のように障害を抱える人と触れ合う環境を通じ、互いに無理のない配慮の落とし所を見つける癖も付きますし、自分と違う人を受け入れ理解することで、健常者側も視野が広がると思います。一方で日本の現在の教育だとそういった機会を逸してしまっていますよね」