アルファロメオではないアルファロメオ?夢から生まれた唯一無二の車
6C 2500 SS”セレニッシマ”が背負うレガシー
●軽量で空力的なボディ そのあまりの美しさから、1950年8月27日、リド・ディ・ヴェネツィアで開催されたコンクールでグランプリに輝き、かのバティスタ・"ピニン"ファリーナからも称賛を受けた。トロフィーは、ヴェネツィアのドージェ(元首)がかぶる宝石に彩られたヘルメットをかたどっており、現在もルラーニ家が所有している。 軽量で空力を考慮したボディをまとい、シャシーは軽量化され、ホイールベースも短縮されていたため、公道を走ってみると、たちまちニュートラルで扱いやすい車であることが証明された。ルラーニ伯爵の心にも大きな印象を残したようだ。伯爵は前述の手紙の中で、30年前のことをこう振り返っている。 「あの車は公道で素晴らしい挙動を見せた。私は個人的に製造工程を見守った。オリジナルの塗色は明るいブルーグレー・メタリックで、青いコノリーレザーのインテリアだった。間もなく最初のオーナーが格安でアメリカに売り渡した。レストアを進める間、どんなことでも喜んでお手伝いしよう」何とも寛大な申し出だ。 さらにルラーニは、同じ手紙の中で、別の改良点についても触れている。「ギアシフトが独特なのが分かるだろう。実は、アルファロメオのシフトは少々扱いにくいものだった。はるか前方に位置するギアボックスから長いレバーが突き出していたからだ。そこで、私が友人のシドニー・アラード(アラードの創設者) からシンプルで巧妙なリンケージ機構を手に入れて、近くでギアチェンジできるようにした」 たしかにシフトレバーは、フェラーリ250 GTOのように、ステアリングからほんの数センチのところに位置する。仕組みは単純で、どちらかといえばレーシングカー向きの見た目だが、露出した1本のバーで元の位置と新しい位置をつないでおり、効果は抜群だ。 このルラーニの手紙によって、6Cがずいぶん早い段階でイタリアからアメリカへ渡ったことが判明した。1975年にニューヨークに姿を現したときには、レストアを要する状態だったが、パーツはほとんど残っており、まだ同じ6Cエンジンを搭載していた。その直後に6Cを手に入れたロバート・タッカーは、ミシガン州とコネチカット州に住み、2017年まで所有していた。ルラーニから手紙を受け取ったのもタッカーだ。共通の友人の伝で連絡が取れたのである。タッカーはレストアに乗り出し、エンジンをリビルドして、ボディにも着手した。 ●復活した美しさ しかし2017年、まだ完成にはほど遠い状態で、6Cはディーラーに売り渡された。現オーナーであるフロリダ州のコレクター、スティーブン・ブルーノは、このディーラーから購入したのだった。 「私はこの車を本当に長いあいだ探していたんです。タッカーの奮闘も及ばず、70年にわたって人目に触れていませんでした。さらに5年以上、数千時間に及ぶ作業を行って、ようやく可能な限り最高の水準といえるようになりました。最も難しかったのは、正確かどうか判断することでした。失われたパーツもありましたし、ワンオフは常にそうですが、参考にできるものがほとんどありません。私たちは、この車に搭載されていたドライサンプ式6Cエンジンをレストアしました。これがオリジナルのユニットだと考えています。イタリア海軍の魚雷誕に提供されたエンジンによく見られたディテールが数多く残っているからです。そういったエンジンは、1960年代のアメリカでは希少でした。ただし、100%証明することは不可能です。理由は単純で、エンジンナンバーが公式な書類に一度も記載されなかったからです」 アルファロメオのエキスパートで、アルファ・ブルー・チームの創設者、ジッポ・サルヴェッティは、こう説明する。 「6C 2500リーヴァ"セレニッシマ” は、技術的ソリューションを披露して印象付けるために造られたワンオフの傑作です。その誕生に名高い人々が関わったという驚くべきヒストリーを持ちます。それだけでなく、これを製造したとき、カッターネオとルラーニは、戦後のアルファロメオの方向性を既に見抜いていました。戦前より小ぶりな車で生産数を増やし、エンジンも小型化するということを‥。狙ったわけではないと思いますが、彼らは車作りを楽しむと同時に、数年後に造られるGTがどんなものになるかを見事に言い当てて見せました。その過程で、私たちに非凡なものを残してくれたのです」 つまり、厳密にいえばアルファロメオではないアルファロメオでありながら、たいへんなレガシーを背負う1台なのである。しかもその走りは、アルファロメオを代表するあの6C SSをも凌ぐ。まさに先見の明の成せる技といえるだろう。 編集翻訳:伊東和彦(Mobi-curators Labo.) 原文翻駅:木下 恵 Transcreation: Kazuhiko ITO (Mobi-curators Labo.) Translation: Megumi KINOSHITA Words: Massimo Delbò Photography: Evan Klein
Octane Japan 編集部