「品川」のナンバープレートはいつできた? 実は東京だけ地域名なしの時代が存在した!
かつて東京のナンバープレートは”地域名なし”だった!? いったい「品川」など、東京の地名を冠したナンバーはいつ誕生したのか。当時のナンバープレートの変遷をみていくとともに、東京だけ地域名なしの理由を探っていきたい。 【画像で見る】懐かしの「品」ナンバーの前は……まさかの地域名なし!?
ナンバープレートの地域名の変遷
ナンバープレートの地域名の表記は、使用の本拠に位置する運輸支局(と自動車検査登録事務所)を表示している。今日でこそ「ご当地ナンバー」の登場で、運輸支局(と自動車検査登録事務所)以外の地域名も増えているが……。昭和初期まで遡り、地域名の変遷をみていこう。
1951 年 (昭和26年)以前
1907年(明治40年)に警視庁の公布した「自動車取締規則」で車体番号を車体に書く、または長方形の板に書いて車体に取り付けることを義務付けたのが、ナンバープレートのはじまりといわれているが、全国で制度化されたものではなかった。車体に番号を直書きするとは……元祖カーラッピングともいえるのか。 以降、明治後期、大正、昭和初期と車両の登録台数も増加していった。各地域では、車両を管理するためにナンバープレートを使用していたわけだが、全国的な制度というわけではなかったようだ。例えば、1951 年(昭和26年)以前に、東京都で使用されていたナンバープレートには、上部に「東京都自動車鑑札(札は旧字体)」というロゴ、そして「9.091」と4桁の数字を表記している。この「.」だが、小数点ではなくピリオドで判読のために用いていたとみられる。都制の施行されたのは1943年(昭和18年)7月1日。そして、ナンバープレートが制度化されたのは1951 年(昭和26年)8月16日。この間に発行されたレアな東京のナンバープレートかもしれない。
1951 年(昭和26年) ナンバープレートの制度化 東京は地域名なし
ナンバープレートの制度化は1951 年(昭和26年)、「道路運送車両法」(6月1日公布)で実現した。同年、「道路運送車両法施行規則」(8月16日公布)で、自動車登録番号標の様式を定め、今日のナンバープレートの礎となったわけだ。 この「道路運送車両法施行規則」では、自動車登録番号標には府県及び北海道は陸運事務所の頭文字を表示することとした。当時、各府県に陸運事務所を設置しているケースが多かったため、府県の車両には府県の頭文字が表記される傾向にあった。 例外としては、頭文字の重複のため、愛媛県は愛媛、大分県は大分、宮崎県は宮崎、長崎県は長崎、福島県は福島、福井県は福井、山形県は山形、山梨県は山梨と表記したこと、北海道は中核となる7都市に陸運事務所を置いていたため、北海道の「北」ではなく、事務所の所在地の頭文字(札・函・室・帯・釧・北・旭)を表記(北は北見の頭文字)したことがあげられるだろう。1951 年(昭和26年)の群馬県のナンバープレートを見てみると、群馬の群を冠した「群 1-23」となっている。連番のため、もしかしたら見本として用いられていたものかもしれない。 1951年(昭和26年)の東京都のナンバープレートをみてみると白色に黒字で「1-278」とだけ表記されている。東京都陸運事務所、または支所の頭文字どころか、日本固有の文字(ひらがな、カタカナ、漢字)さえない、数字と記号(ハイフン)のみとなっている。実は、「道路運送車両法施行規則」には、“東京都におけるものを除いて”と明記されているからだ。日本固有の文字がないと海外のナンバープレートのようだ。