織田信成、一寸先はハプニングのスケート人生 最後はマツケンサンバで踊り明かす
【ベテラン記者コラム】 今季限りで現役を退くフィギュアスケート男子の織田信成が11月に行われた西日本選手権で優勝し、11年ぶりに全日本選手権(20日開幕、大阪)出場を決めた。ショートプログラム(SP)、フリーともに4回転トーループを決め、2位に入った選手に20点以上の大差をつける圧勝だった。 「すごくうれしい。さらにグレードアップした演技を目指し、地元大阪で盛大なマツケンサンバを踊りたい」 今季のSPの音楽は「マツケンサンバⅡ」だ。俳優、松平健の大ヒット曲で最初のブームは2004年、CDが50万枚以上売れた。ユーチューブでのミュージックビデオ公開が契機となり、20年に人気が再燃。かつて幼稚園や小学校で踊った子供たちが大人になり、熱を受けて開発された写真映えする商品が、SNSでバズる(話題が拡散される)ことで、10~20代女性に新たなファン層が生まれている。 ハプニングに一喜一憂した銀盤だった。織田は05年の全日本選手権で一度は表彰台の一番上に立ちながら、前代未聞の採点ミスが発覚して2位となり、06年トリノ五輪代表の座を逃した。ミニバイクの酒気帯び運転で検挙され、棒に振ったシーズンもあった。10年バンクーバー五輪のフリーで3回転ループを跳んだ際、バランスを崩して転倒。靴ひもが切れるまさかのアクシデントで7位にとどまった。 14年ソチ五輪の代表入りを逃した13年12月の全日本選手権を最後に引退し、その後はタレントやプロスケーターとして活動した。その一方で技術の衰えを感じ、「お金を払って見に来るに値するスケーターにならないといけない」と22年秋に現役復帰した。 昨年も西日本選手権を制していたが、日本アンチ・ドーピング規程に触れたため、全日本の切符は得られなかった。競技会以外でもドーピング検査を受ける義務のあるトップ選手として引退した織田は、高レベルの大会に復帰するには6カ月以上前に日本アンチ・ドーピング機構(JADA)へ届け出る必要があった。手続きの不備で晴れ舞台には立てず、「出場できないのは残念。精神的にきつかった」と涙ぐみ、声を詰まらせた。 今年の西日本選手権では「水分がカラカラ」と苦笑する右膝に痛みを抱えながらも、食生活に気をつけて体重を管理。「37歳でも進化できることをアピールできたら」と有言実行した。「何でもポジティブに考えるのが得意。昨年の思いも糧にした」とベテランの貫禄を示し、「国際大会に出ている子たちを上回りたい」と下克上を誓った。一寸先はハプニングを地で行ったスケート人生。戦国武将・織田信長の第17代末裔は最後、サンバのリズムに乗って踊り明かす。