上杉謙信の武勇を称え、大正15年から続く謙信公祭。宝塚の元組長、謙信公役として参加できる幸せを噛みしめて
100年を超える歴史を持ちながら常に進化し続ける「タカラヅカ」。そのなかで各組の生徒たちをまとめ、引っ張っていく存在が「組長」。史上最年少で月組の組長を務めた越乃リュウさんが、宝塚時代の思い出や学び、日常を綴ります。第78回は「上杉謙信公ゆかりの地を訪ねて-林泉寺-」のお話です。 (写真提供◎越乃さん 以下すべて) 【写真】本堂の木彫りの謙信公坐像で頭を深く垂れ… * * * * * * * ◆謙信公に手を合わせに 宝塚歌劇団在団中も、退団後も、これまで実在の人物を幾度となく演じてきました。 その時代の歴史を調べ、本を読んだり映画を見たり、その人が生きてきた史実に対して私なりの解釈をし演じる。 それが面白かった。 今回も久しぶりにその感覚を味わえるんだと楽しみに訪れた上杉謙信公ゆかりの地、新潟県上越市。 謙信公の武勇と遺徳を称え偲び、大正15年から続く謙信公祭。この度上杉謙信公役として参加できる事になり、謙信公に手を合わせに行って参りました。 越後春日山林泉寺。 上杉謙信公の祖父である長尾能景が、父・重景を弔うため1497年に建立した寺院です。 ここで謙信公は名僧・天室光育の厳しい教えのもと、7歳から14歳までを過ごしました。 幼名・長尾虎千代。 戦国武将の中でも教養が高く、信仰心が厚い謙信公の素養はこの時期に培われたといわれています。
◆往時を今に伝える惣門 お寺の入り口には、謙信公によって春日山城から移築された惣門があります。 往時を今に伝えるこの惣門は、1年に1回謙信公祭の日にだけ開くのだそうです。 謙信公祭は、武将達とこの惣門をくぐり出陣報告をするところから始まります。 林泉寺の中に入ると、立派な山門が現れます。 謙信公建立の山門は江戸時代に地震により焼失し、現在の山門は大正時代に再建されたものだそうです。 鎌倉時代の和様と唐様が取り入れられている山門には、「春日山」と「第一義」の大額が掲げられていました。
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