<マジックの裏側・木内野球を語り継ぐ>2001年春優勝・小林一也さん/下 頂点へ執着心あらわ /茨城
◇初回から4番にスクイズ センバツ決勝前日のミーティングで、木内監督は選手に打ち明けた。「一度、センバツで優勝してみたいんだ」。1984年夏に取手二で全国制覇を果たしたが、常総学院に転じて以後87年夏、94年春はいずれも準優勝。17年ぶりとなる頂点への意欲を隠そうとしなかった。 執着心は一回の采配から表れた。1死一、三塁の場面で、4番・小林にセーフティースクイズのサイン。打撃好調だった小林は「えっ」と目を疑ったという。打つ自信はあった。しかし、すぐに前夜の言葉を思い出した。「監督、本当に勝ちたいんだ」。「一回から、まさか4番にスクイズはさせないだろう」。そんな仙台育英の思い込みを突いて、小林は初球から着実にバントを決めた。 日ごろ「野球は点取りゲーム」と話していた木内監督は、何点取れば相手を上回れるかを見極めて戦術を立てた。この決勝で選んだ戦術は、徹底したバント攻めだった。 三回に横川が勝ち越しスクイズを決め、4―2で迎えた五回も村田のスクイズ(記録は内野安打)などで2点を追加。小林は「普段の木内監督はどっかりベンチに座ったまま、指示は『行け』だけという試合もあった。でも、この日は本気になってくれた」と振り返る。 終盤の仙台育英の追い上げを継投でかわし、1点のリードを守ってついに紫紺の大優勝旗を手にした。 試合後、テレビインタビューで木内監督は言った。「見ている人の中にはご批判もあるでしょうが、この試合だけは勝利に固執させてください。1位と2位では大きな差がある。私が勝ちたくなっちゃったんです」。照れ隠しのように、ガハハと笑った。 ◇ 小林は現在、専大松戸(千葉)でコーチを務めている。チームは昨秋の関東大会で4強入りし、センバツ初出場を決めた。 「常総のグラウンドで学んだことがそのまま教科書となって、今の指導に生きています。監督には、もう少し長く見守ってほしかった」。木内譲りの情熱を教え子らに注ぐ日々だ。(敬称略) ……………………………………………………………………………………………………… <第73回センバツ> ▽決勝 常総学院 103020001=7 100101102=6 仙台育英