1ヵ月で10万部!恋愛も孤独も老後も「経営でできている」と説く東大初の経営学博士が書いた本の中身
高度経済成長期の日本にあった「みんなが職場の経営者」という意識
国家経営、学校経営、病院経営、家庭経営、健全経営、一体経営……。見渡せば、日本社会は「○○経営」であふれている。にもかかわらず、経営は「企業の金儲け」と同一視されがちではないだろうか。 《日本において本来の経営が急速に失われたのも、平成時代の円高とデフレによって、ただの手段のはずの金銭の価値が高まり、金銭という手段に振り回され、目的であるはずの人間の共同体をなおざりにしたからだ。》(『世界は経営でできている』「おわりに」より) 岩尾先生は本書でそう指摘している。 「日本において本来の経営が失われた一つのきっかけは、1985年のプラザ合意で円高が進み、国内外で円の価値が上がり続けたことだと思います。 プラザ合意以降、低金利政策と国内のデフレも相まって、お金持ちが確実に担保になる土地に投資し、土地を担保にまたお金を借りるという、お金でお金を生む世界に身を投じれば儲かる状況ができた。これがいわゆるバブル景気で、本来の意味の経営だとむしろ損してばかりの状況になったんです。 その結果、人を集めて新しい価値を作ることよりも、投資や金融に頭が支配される状態に陥った。そこから数年後のバブルが崩壊した頃からは、庶民から数年遅れでお金持ちたちも金策の巧拙によって実際に生死が分かれる世界に突入したと私は見ています」 逆に、平成以前はどうだったのだろう。昭和の人々は、本来の経営をわかっていたのか。 「昭和時代に日本の経済を支えた製造業においては、QCサークル活動(小集団改善活動)などの形で経営知識を薄く広く配っていき、人が価値創造の主役になる経営が実践されていましたよね。たとえば京セラフィロソフィとかトヨタ生産方式もその意味では同じです。 昭和の日本では、中小企業を含めた多くの製造業がQCサークルや改善活動に取り組んでいました。製造業以外でも、『働くみんなが職場の経営者なんだ』という意識が、少なくとも高度経済成長期の日本にはあったと思います。 そもそも石油などの資源もない国が、焼け野原からたった20年ほどで世界第2位の経済大国にまで復活したわけで、人間の脳みそという油田から豊富な価値を湧き出させる以外になかったわけです。 ただ、みんなが職場の経営者という意識がじわじわ広がっている途中で、デフレに入ってしまった。だから昭和の時代には、『みんなが人生の経営者だ』とまで考える人は多数派ではなかったでしょう」