阪神ドラ3・木下里都 恵まれた体格の少年は、兄の背中を追い野球の道へ 福岡舞鶴に進学した理由
10月のドラフト会議で阪神から指名を受けた9選手(1~5位・育成1~4位)の連載をお届けする。今回はドラフト3位・木下里都投手(23)=KMGホールディングス=の幼少期から福岡舞鶴への進学について紹介する。 【写真】幼少期の木下 面影が残ってる ◇ ◇ 4歳上の姉、2歳上の兄に続き、木下家の末っ子として産声をあげた。3800グラムでの誕生。生まれつきの“恵まれた体格”だった。響きや字画から付けられた「里都」の名前には、「『都』にはいろんな人が集まってくるという意味もあるので、周りの人に恵まれたら」という母・美佳さん(54)の思いが込められた。 父・忠司さん(55)には野球経験がなく、兄・怜さん(26)の背中を追った幼少時代。幼稚園に入る前から、兄弟でプラスチック製バットでボールを打って遊んだ。「ホームランで~す!!」。うれしそうに叫びながら、公園を何周も駆け回る。当時の習い事は体操と水泳。怜さんが「原北ウイングス少年野球クラブ」で野球を始めると、「お兄ちゃんがしてるから僕も早くしたい」と言い出して、小田部小1年の冬に同じチームに入った。 野球は観るのを楽しむタイプではなく、あくまでプレーを楽しむ子供だった。ドラフト指名後、木下はセとパのリーグの区別がきっちりついていないことを告白し、周囲を驚かせた。美佳さんは「本当にそうで。小さいときはダイエーホークスの帽子はかぶってましたけど、自分がするのが楽しいって感じでしたね」と笑いながら回想する。 10歳のときの「1/2成人式」では、「プロ野球選手になりたい」と夢を発表。将来の自分がテーマの粘土工作では、野球をしている姿を作った。ただ、家族にはっきりと“プロ志向”を示したのは、後にも先にもこの時くらい。原北中に進学すると部活ではなく、白龍ベースボールクラブを選択。これも怜さんの影響だった。 「走らせればお兄ちゃんの方が速かったですが、体格は里都の方がよくて。お兄ちゃんは努力して自転車に乗れたとか逆上がりができたとか言うんですけど、里都は自転車に乗ったら乗れた、逆上がりもやったらできたとか。運動神経は良かったですけど、お兄ちゃんを目指して頑張ってたところもあると思います」(美佳さん) 大学時代には福岡大・里都と九州大・怜さんで初の兄弟対決も実現し、弟が満塁機で兄を一ゴロに打ち取ったが、それはまだ先の話。高校進学では、塾の先生から「強豪に行っても目立たなかったらどうする?」とアドバイスされて、甲子園出場歴のない福岡舞鶴を選んだ。 【木下里都(きのした・りと)アラカルト】 ◆生まれ 2001年1月27日生まれ、福岡県出身 ◆家族構成 両親、兄、姉 ◆サイズ 身長183センチ、体重90キロ ◆投打 右投げ右打ち。最速156キロ。変化球はカットボール、ツーシーム、カーブ ◆遠投 120メートル ◆足 50メートル6.02秒 ◆球歴 小田部小1年から原北ウイングス少年野球クラブで野球を始める。原北中では白龍ベースボールクラブに所属。福岡舞鶴高では主に遊撃手。福岡大1年夏から投手転向し、4年で初先発。卒業後、KMGホールディングスに進み、阪神からドラフト3位指名を受ける。 ◆好きな歌手 back number ◆特技 習字 ◆趣味 釣り