「会いたい。話したい。無性に」 特攻隊員の“最後の声”
1945年4月16日、出撃、戦死。23歳。 遺書を受け取った母親は泣き崩れたといいます。
■「会いたい。話したい」穴澤利夫 大尉
福島県出身、婚約者の智恵子さんに、「自分の事は忘れてくれ」と遺書を残しています。 軍人だということで互いの両親から結婚を反対されていた2人。それでも2人の意思は固く、なんとか婚約を許されますが、その後、「出撃命令」が下ります。 二人で力を合わせて努めて来たが、終(つい)に実を結ばずに終わった。 婚約をしてあった男性として、散って行く男子として、女性であるあなたに少し言って征(ゆ)き度(た)い。 「あなたの幸せを願う以外に何物もない」 「徒(いたずら)に過去の小義に拘(こだわ)る勿(なか)れ」 「あなたは過去に生きるのではない」 「勇気をもって過去を忘れ、将来に新活面を見出すこと」 「あなたは、今後の一時一時の現実の中に生きるのだ。穴澤は現実の世界にはもう存在しない」 今更何を言ふのかと自分でも考へるが、ちょっぴり慾(よく)を言って見たい。 ●読み度(た)い本 「万葉」「句集」「道程」「一点鐘」「故郷」 ●観たい画 ラファエル「聖母子像」 芳崖「悲母観音」 智恵子 会ひ度(た)い、話し度(た)い、無性に。 今後は明るく朗らかに。自分も負けずに朗らかに笑って征(ゆ)く。 ※一部抜粋 1945年4月12日出撃、戦死。23歳。
智恵子さんからもらったマフラーをまいて出撃した穴澤大尉。 智恵子さんは、穴澤さんの煙草の吸い殻を、生涯、持ち続けていたそうです。 愛するものを守れると信じ、散っていった若者たち。 特攻作戦で亡くなった隊員は6371名にのぼります。
■「特攻の母」ひ孫が思いをつなぐ
『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』に登場した食堂のおかみ、ツルさん。 このツルさんにはモデルとなった人物がいます。 「特攻の母」と呼ばれた鳥濱トメさんです。特攻隊員たちをわが子のように可愛がったというトメさん。時には検閲を恐れた特攻隊員から遺書を預かり、家族や恋人に届けていました。 そのトメさんの食堂は、現在、特攻隊員の遺書などを展示する資料館となっています。