「突き指するからノックはやめておけ」とはならない・金本知憲さん プロ野球のレジェンド「名球会」連続インタビュー(31)
打線があまり強くないチームでずっとやってきたので、自分が打たないと勝てないというプレッシャーもあった。逆にそれが僕の成績を押し上げてくれたところでもある。(年間で)最初にフルイニング出場したのは2000年。前年のシーズンが終わって4番の江藤智がFAで巨人に。4月に緒方孝市がけがをして、前田智徳と野村謙二郎さんも離脱した。主力がほとんどいなくなり、これで僕がいなくなったら、どうなるんだろうと。彼らの分までやらないといけないし、休むわけにいかない。結局、フルイニング出場の初めての年になった。その時も右手薬指を思いきり骨折したけど、ずっと出ました。ゴールデンウイークの横浜スタジアム。照明が目に入って(打球が)消えてしまって、手で捕りにいったんですね。その瞬間にやったと思った。第1関節。すぐ腫れ上がった。(グリップを)薬指と小指、2本余して打った。うまいこと合わすだけのバッティングになった。薬指は(阪神移籍後の)06年もやってます。やはり守りで照明が入って同じような感じ。
10年の右肩負傷はオープン戦前の練習で。その時は全く送球もできなかった。(腱板が)断裂していたので。それをかばって肉離れもした。意外と打つ方は大丈夫だった。3年間、肩に不安を持って何とかごまかしながらやって、引退して手術した。(10年4月のフルイニング出場ストップは)自分から直訴しました。良くなる兆しがないから。真弓明信監督は「もうちょっと我慢できないか」と止めてくれましたが、状態がひどかったので。記録はいつかは止まりますから何とも思わなかったですよ。ああ、来たかというぐらいで。伸ばそうという気持ちもなかった。 記録は途切れましたけど、運によるところが多い。アキレス腱を切ったとか、絶対に試合に出られないけがをしなかった。そういう意味では野球の神様に感謝です。いい野球人生だったと思います。これだけできで、運があった。個人タイトルが打点王1度だけなのは巡り合わせでしょうね。運と縁がなかった。 × × ×
金本 知憲氏(かねもと・ともあき)広島・広陵高―東北福祉大からドラフト4位で1992年に広島入団。走攻守そろった外野手で、2003年に移籍した阪神で2度のリーグ制覇に貢献。04年は打点王。名球会入り条件の2千安打は08年4月に達成。12年に引退し、通算2539安打、476本塁打。16年から阪神監督を3季務める。68年4月3日生まれの55歳。広島市出身。