「地獄へ落とされたようだった」妊娠5カ月目で迫られた命の選択。これまでの10年間を振り返り、いま思うこと【ゴールデンハー症候群・体験談】
そばにいたい一心で、NICUに通い続けた10カ月間
「生まれてからさまざまな検査をするなかで、ゴールデンハー症候群だと診断されました。身体の片側がうまく育たないまま生まれてくるという病気で、うちの子は片目に腫瘍があったり、片耳の形成が未発達であったり、片方のあごが生まれつき半分くらいしかなかったりとゴールデンハー症候群特有の左右非対称の症状がありました。あごが小さくて飲み込みができないので、赤ちゃんのころは経管栄養で、私は毎日NICUに母乳を届けていました。 こう言うと意外と思われるかもしれませんが、そんななかでもMはすごく元気な赤ちゃんだったんですよ。いつも手足をバタバタ動かしていて、もう元気いっぱい。でも元気がよすぎて、ある日気管に固定されていた挿管チューブを抜いてしまって。危ないので気管切開をしたほうがいいという話になり、生後2カ月後に初めての手術を経験しました」(高橋さん) 出産からMくんが退院するまでのおよそ10カ月間。高橋さんは毎日のようにNICUへ通い続けました。 「私も産後入院している間は、毎日朝から面会時間ギリギリまでNICUにいました。NICUには医療的ケアが必要な赤ちゃんが何人もいるので常にアラート音がピーピーと鳴っているような空間で、とくに何をするでもないんですけど、ただ子どもの近くにいたいという気持ちだけでずっとそばにいました。 自身が退院してからも、母乳を届けるために毎日通いましたね。今日はミルクをこれくらい飲めたとか、沐浴(もくよく)できるようになったとか、Mの日々の成長を見るのも楽しみで。でも最初は『私がやらないと』と張りきる気持ちと子どもに会いたい一心で頑張れていたのですが、だんだんと毎日病院に通い続ける気力と体力が続かなくなってきて…。8カ月ほどたったあたりから『Mはいつ家に帰れるんだろう? 』『この生活はいつまで続くのだろう? 』と先が見えない不安を感じ始めました」(高橋さん)
緊張感のあった退院後の生活。夫や看護師さんの存在が支えに
そんな中でも、病院内のカウンセラーとお話や相談をしたり、看護師の方が記録してくれるMくんの日々の成長をつづった日記から元気をもらいながら、なんとかやっていたと高橋さんは話します。そして生後10カ月がたったころ、ようやく退院が決まりました。 「Mが退院して、初めて家に帰ってきた日のことです。退院する日の前から『その日は一睡もできないだろう』と夫婦で覚悟していましたが、思っていたとおり全然眠れませんでしたね。Mは一定の酸素量を下回るとアラートが鳴る器具をつけていたんですが、夜中に何度も鳴って、そのたびにビクッとして生存確認をするという繰り返しで。ちょうど、その翌日に知人の結婚式に参列する予定があったんですが、寝不足でフラフラになりながらスピーチしたのを今でもよく覚えています(笑)。 それからも、しばらくは心配でおちおち寝ていられませんでした。少し器具が外れるとピーピー鳴るので、夜も常に耳だけは起きているというか。毎晩、夜中に呼吸を確認して、息をしているのを確認できたらホッとするという感じでしたね。 気が休まらない日々でしたが、夫や周囲の方にとても支えられました。私がいなくても夫は家事も育児もできるし、Mが退院してからも一緒に育児をしてくれて心強かったですね。 あと、退院後のケアとして定期的に来てくれていた訪問看護師さんの存在も大きかったです。『代わりに見ているので、お母さんはちょっと休んでいていいですよ』とねぎらってくれたり、世間話の相手やときには相談相手にもなってくれたりとか。病院からの引き継ぎで入院時のことも把握してくれていたので、理解してくれているという安心感がありました。身体的にももちろんですが、精神的にもありがたかったです」(高橋さん) 当時のことを振り返って、「あのころは近所を散歩するだけでも命がけだった」と高橋さん。中でも印象に残っているのは初めてMくんと2人で近所のコンビニに行った日のことだといいます。 「退院後しばらくしてから、わが家から歩いて5分ほどのところにあるコンビニへMと行こうとしたんです。ベビーカーにMを乗せて、下の荷物を入れるスペースに板をつけて、呼吸器とかも持ってフル装備で。 でも、当時Mがまだ小さかったこともあって、道中にちょっとガタガタした道を通るとそれだけでも喉がゼコゼコ言っていて、そのたびに不安でしかたなくて。1人だったら5分の距離でしたが、その日は何十分もかけて慎重にゆっくり歩いて、ようやく着いたときに『ここまで来られた!』と小さな達成感みたいなものを感じるほどでした。今は身体も強くなり多少のことは平気になりましたが、そのころは近所を散歩するだけでも本当にビクビクしていて。当時を思い返すと、今の成長ぶりを感じますね」(高橋さん)
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