「美しい日本語」は外国人宣教師の言葉の中にある
◇日本人が舌を巻いたカンドウ神父の日本語 宣教師の日本語文学は、小説や詩歌といったフィックションに限らず、『聖書』の翻訳、聖人伝、随筆、紀行、評論、戯曲、対話、演説、日記、書簡、雑文など幅広いジャンルにまたがっています。 彼らは布教のために、日本人の心と文化を徹底的に理解しようと努めました。そして、愛、平等、自由といったキリスト教の精神を語るにふさわしい上品な言葉を使い、文章も聖書にならって非常にレトリックに力を入れました。 その形態は、宣教師が単独で日本語執筆したものだけでなく、口述筆記、和訳の確認と添削、ローマ字執筆から漢字と仮名への変換など、日本人と協力して生み出されたものが多くあります。それらが多言語・多文化の濃密な交流の成果物であるという点は、文学的に極めて重要です。 宣教師の著作は、単に読み物として面白いだけでなく、彼らの精神の過程を辿るような、倫理的で香り高い文学性に富んでいます。そのなかには、当時の日本の作家や学者といった知識人層から、極めて高い評価を受けたものもあります。 たとえば、現代日本人の歴史観にもっとも影響を与えた司馬遼太郎は、二人の宣教師に傾倒していました。ひとりは、16世紀のフランシスコ・ザビエル。もうひとりが、20世紀のソーヴール・カンドウです。 1897年にフランスのバスク地方に生まれたカンドウは、28歳のときに初めて日本の地を踏みました。第二次世界大戦でフランスへ帰国するも戦後に再来日し、1955年の急逝まであわせて21年日本に在住。『方丈記』の仏訳や難解な西田幾多郎の哲学書を批評するほど日本語に習熟し、掛言葉や駄洒落の名手でもありました。 カンドウ神父の文筆や講話は、深い感銘とともに当時の日本人に記憶されています。 司馬遼太郎は、「S・カンドウは神父であり神学者であり、かつ哲学者でもあったが、それ以上にすぐれた“日本人”でもあった。一九二五年に日本に上陸して以来、多くの非信徒からもつよい敬愛をうけ、日本人と日本文化を愛し、さらには高度の内容と上質のユーモアを持つ完全な日本語文章を書き、さらにいえばやわらかくて透きとおった魂のもちぬしであった(後略)」と書いています。(*1) 作家の犬養道子は、ラジオで聞いたカンドウ神父の日本語について、「日本人アナウンサーが恥ずかしくなるほど。江戸前のイキのいい啖呵も切れるし、昔の諺にも長じているし、彼の珠玉の随筆集は、一時ベストセラーになったとおぼえている」と絶賛しています。(*2) 文部大臣や最高裁長官を歴任した法学者の田中耕太郎は、「現代日本の最もすぐれた著述家や文明批評家に対して遜色がない。文章は平明であるが、平凡ではない。それは軽妙であるが、軽薄ではない。それはユーモアにみちているが、決して下品ではない。それには都会人らしく神経が隅々まで行き届いていて、極度に洗練されたものでありながら、宣教師にふさわしい重厚性と威厳に事欠かない」と評しています。(*3) 実際に、カンドウ神父の著作を読むと、歯切れの良さ、鋭い洞察力、話の構成力に感銘を受けますが、何よりも日本人の心を知悉していたことが見てとれます。彼は、日本のキリスト教信徒についてこのように書いています。 「なるほど富士や松島や天橋立なども美しいには相違ないが、そのためにわが一生を捧げるほどの美しさではありません。わたしをこの日本に生涯引き止めんとするものは実に多くの美しい魂である。臨終の床にあって神に感謝し、喜びをのべ、従容として死んで行く人びとであります。(中略)自分はこのような美しい魂を見出した日本を愛せずにはいられない、と言いきるだけの勇気を感じております」。(*4) 日本語を母語とする者ですら、カンドウ神父のように品格の高い日本語を用いて、そこに世界宗教が有する普遍的価値を織り込める人は少ないのではないでしょうか。 【注】 *1 司馬遼太郎『司馬遼太郎全集』第59巻『街道をゆく 南蛮のみち』(文藝春秋、1999年) *2 犬飼道子『西欧の顔を求めて』(文藝春秋、1974年) *3 田中耕太郎「カンドウ神父と日本」『現代生活の論理』(春秋社、1957年) *4 ソーヴール・カンドウ「心眼に映じたる日本」『カンドウ全集 第一巻』(池田俊雄編、中央出版社、1970年)