<ウクライナ停戦合意> どこまでプーチン大統領の“思う壺”なのか? 国際政治学者・六辻彰二
2月11日、ウクライナ、ロシアとドイツ、フランスの4か国首脳がベラルーシのミンスクで会談。ウクライナ東部ドネツクとルガンスクでの戦闘に関して、16時間におよぶ協議の末に、15日からの停戦など13項目が合意されました(ミンスクII)。しかし、会談後の会見でロシアのプーチン大統領が笑顔をみせたのに対して、ウクライナのポロシェンコ大統領は渋い表情を崩しませんでした。今回の停戦合意「ミンスクII」は、それぞれにとって、どんな意味があるのでしょうか。 【写真】世界史的に見る「ウクライナ危機」 歴史の潮目は変わったのか
“2度目の”停戦合意
人口約100万人のうち約48%をロシア系が占めるドネツクでは、ロシアがクリミアを編入した2014年3月以降、親ロシア派とウクライナ当局の衝突が激化。5月には親ロシア派の主導で住民投票が一方的に行われ、賛成多数をもって「ドネツク自治共和国」が独立を宣言。親ロシア派はクリミアと同様、ロシア編入を希望していますが、当のロシア政府は連邦制の導入と自治権の拡大をウクライナに提案しています。 一方、5月に就任した欧米寄りのポロシェンコ大統領は、親ロシア派を「国家分裂を図るテロリスト」と位置づけ、掃討作戦を開始。当初ウクライナ軍が優勢とみられましたが、ロシアによる親ロシア派への支援で情勢は膠着しました。ロシアは軍事支援を否定していますが、7月のマレーシア航空機撃墜事件などもあって国際的な批判は高まり、9月にはロシア政府とOSCE(欧州安全保障協力機構)代表者の同席の下、ウクライナ政府と親ロシア派が協議し、停戦と緩衝地帯の設置など9項目に合意したのです(ミンスクI)。 ところが、その後も戦闘は収まらず、ウクライナ政府と親ロシア派は相互に「相手が協定を破った」と非難を応酬。2015年1月には親ロシア派が要衝マリウポリを占拠し、米国政府がウクライナへの軍事支援を検討し始めたなか、戦闘のさらなる拡大を恐れたドイツとフランスが仲介に乗り出したのです。