切なすぎる! 出産してすぐ愛人に殺された、光源氏の妻「葵の上」の“悲運”とは
プライドが高く、感情を容易には表に出さない姫君であった葵の上(あおいのうえ)。夫・光源氏を見る目も、実に冷ややかであった。それでも、10年目にして少しずつ状況が変化。妊娠後、つわりで苦しむ妻を、光源氏も愛おしく思えるようになってきたという。しかし、出産直後に夫の愛人から呪い殺されるという悲運。ついには幸を得ることもなく、この世を去ってしまったのである。いったい、どのような女性だったのだろうか? ■ツンデレだった葵の上 「薄幸の女性」と言えば、筆者がいの一番に思い起こすのが、『源氏物語』に登場する葵の上である。主人公・光源氏の正妻であったのに、結婚当初から夫に愛されることもなく、心を通わせることもできないまま、若くして夫の愛人に呪い殺されてしまったという女性であった。 父は左大臣(名は不明)、母は桐壺帝(きりつぼのみかど)の妹・大宮である。光源氏自身も桐壺帝の息子だから、葵の上は光源氏にとって従姉ということになる。歳も、葵の上16歳、光源氏12歳と、4つも年上の女房であった。 もともと東宮(後の朱雀帝)の妃(つまり後の皇后)となるように育てられていたというが、どういう思惑があったものか、左大臣の意向によって、東宮の弟・光源氏に嫁がされてしまったようである。 葵の上にしてみれば、「皇后になれたはずなのに」と、憤懣(ふんまん)やるかたなしとの思いがあったに違いない。兄の頭中将から夫の女遊びの派手さを耳にしていたこともあって、半ば卑下するかのような思いまで、表情ににじみ出ていたのかもしれない。 高貴な出自でプライドが高く、感情の起伏を表に表すこともなく冷ややか。いわゆる、ツンデレを絵に描いたような女性であった。世の中には、ツンデレが好きな人もいるが、光源氏にはそんな趣味はなかった。人並みに、優しく微笑んでくれるような妻を求めていたのだろう。 いつ見ても、ツンと澄ました表情のまま。声をかけても、冷ややかな目線を投げかけられるだけとなれば、夫の足が遠のいたとしても無理なさそうである。 ところが、そんな冷たい夫婦関係も、10年ほど続いたあたりから、少しずつ状況が変わってきたようである。