日本の木造モダニズムの先駆けにして、都市型小住宅の原型。〈土浦亀城邸〉が現代に甦るまで。
白く端正な箱型の外観。吹き抜けの居間と、連続する5層のスキップフロア。日本のモダニズム住宅はここから始まった、と言っても過言ではない〈土浦亀城邸〉が、東京・南青山〈ポーラ青山ビルディング〉の一角にお引越し。その魅力を、移築・復原に尽力した建築家の安田幸一さんに聞きました。 【フォトギャラリーを見る】 〈土浦亀城邸〉は、1935年(昭和10年)の竣工で、戦前・戦後を通して活躍した建築家、土浦亀城が30代の後半に建てた2軒目の自邸にあたる。現存する日本のモダニズム住宅の中で最も古く、また傑作として名高く、土浦が亡くなる前年の95年、東京都指定有形文化財に。99年には近代建築の保存活動を行う世界的な組織「DOCOMOMO JAPAN」の最初の20選にも選ばれている。 そんな日本住宅史の至宝が、2024年8月、東京・南青山に移築。まるで時空を超えてきたかのような、竣工当時の姿で現れたのだから驚きだ。注目したいのは、この移築プロジェクトが保存や改修ではなく「復原」を目的に進められたこと。移築・復原に尽力した建築家、安田幸一さんは、まずはこの家が戦前の、1935年の日本に建ち上がったことの凄さを改めて感じてもらいたい、と言う。 「箱型の外観も吹き抜けの居間を中心とした立体的な空間の繋がりも、今は当たり前に見えるかもしれないけれど、建った当時の世情や周辺環境を考えれば、いきなり宇宙に行く、くらいの飛躍。1930年代といえば、畳敷きの日本家屋が当たり前ですから。この家の実現には、相当の熱量が必要だったはずです。土浦は、その飛躍をちゃんと遂げきった。根底にあったのは、これからの日本の住宅文化の基石になるのだ、日本に根付くモダニズムを作っていくのだ、という強い思いだったのではないでしょうか」
現地調査がスタートしたのは2018年。復原・移築の完成まで、実に6年もの年月をかけた。 「建物の実測だけではなく、家具や調度品、引き出しの中の日用品まですべて記録するなど、土浦夫妻の生活様式にまで踏み込んだ調査をしました。どういう食器がどう並んでいたのか、とかね。この家の幸運はいくつもあるけれど、昭和初期に建った家に、同じ人がずっと住んでいたこと、夫妻が亡くなったあとも、家事手伝いとして共に暮らした中村常子さんが、家具も資料も、何もかも、大切に守り残したこと。それは本当に、極めて稀なことです」 当初は、元の敷地での保存も模索したと言うが、あまりにも躯体が痛んでいたこと、本格的な調査のためには解体し組み立て直す必要があることなどから、移築へと舵を切り、その後も「極めて稀な」幸運が味方した。 「僕が設計していた〈ポーラ青山ビルディング〉に、丁度いいスペースがあって、接道からの高低差も元の敷地とよく似たメートル。実は、土浦さんがご存命だった頃に、東京都小金井市の〈江戸東京たてもの園〉に移築するという話もあったのだけれど、諸事情で頓挫しました。なので、ここにぴったりハマったのは運がよかった」