戦争の「世界線」終わりなく繰り返す悲劇、忍び寄る戦前 未来を変える「会話」続けよう
敗戦国という戦後日本の足かせを克服し、もう一つの世界観を示そうという試みだったと捉えるならば、その作品が90万部を超えるベストセラーとなったのは、決して偶然ではない。
日本人論に詳しい駒沢女子大教授の安井裕司(社会学)は「『ジャパン・アズ・ナンバーワン』と呼ばれたバブル景気に沸いた80年代には起こりえなかった現象だ。日本が強い時代には、誰も『もしも』を考えはしない。最良の時代だから」と語る。
小林の「戦争論」がヒットした90年代末、日本は後に「失われた30年」と呼ばれる停滞の時代に突入していた。「強い自画像が求められるようになった。国家やそれを構成する社会(コミュニティ)が弱くなった証拠でもある」(安井)
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中東では空爆が繰り返され、ロシアのウクライナ侵攻は終わりがみえない。日本でも中国や北朝鮮、ロシアに対する脅威論が高まっている。
戦争という悲劇が生む痛みと悲しみは、メビウスの環のように終わりなき「if」を要求する。人間の想像力はたやすく世界線を描けるが、たった一つの世界を生きていくしかない。
そのとき、道しるべとなるのは「言葉」だ。
20世紀の英国で活躍した保守主義の政治哲学者、マイケル・オークショットは、時間と場所、参加者を変えながら営々と続いていく「会話」という概念を唱えた。
「会話」をするのは、互いを何も知らない匿名の集団ではない。それぞれ名前があり、異なった考え方を持った人々だ。
「会話と、相手を論駁(ろんばく)する議論は違う」。オークショットの思索に触れた大阪大招聘准教授で言語哲学者の朱喜哲は、会話を打ち切るような話法や言動があふれている現状に危機感を抱く。
「自分と考えが違う人がいるという本当に当たり前のことを今一度、考えてみたい。互いを認め合いながら会話を続けていくことで、社会は保守されていくのではないか。遠回りかもしれないが、そこに希望を見いだしたい」
「戦前元年」とも言える不穏さが漂う戦後80年の今年。過去から学び、未来に向けた世界線の輪郭を描くための「会話」を、私たちは続けなくてはならない。=敬称略(この連載は玉崎栄次、堀川玲、塚脇亮太、宮崎秀太が担当しました)