「歌がその人を元気にすると信じている」 一青窈さん「デビュー前からチャリティーライブ活動」始めたきっかけと、これからの夢
■病気も、障害も関係なく ――キャンプファイヤー! 音楽でつながっていこうよ、心に何か楽しいことをつくっていこうよ、という感じですね。 一青:そうそう。もしかしたら、それって台湾人の気質もあるかもしれないですね(一青窈さんの父親は台湾人、母親は日本人。幼少期を台北で過ごした)。 台湾の人って、友だちの友だちが来ても、知らない人が食事の場にいても、みんなで食卓を囲んで食べたい人は食べて、歌いたい人は歌って、という感じで。誰かが困ったら自然に助けて、でもお互いさまだからそれを恩に着せないんです。病気がある人でも、障害がある人でも関係なく、みんな同じなんです。
――こうしたチャリティライブを20年以上続けています。きっかけはご両親のご病気にあると聞いています。 一青:2人ともがんでした。私が中学3年のとき、母が入院先の病院から友人とミュージカルを観に行ったことがありました。音楽が大好きな人で、家の中ではいつもポール・アンカ、エルヴィス・プレスリー、井上陽水、中島みゆきの曲が流れていて。 そんなこともあり、友人が外へ連れ出してくださったのです。帰ってきた母の表情がイキイキとしているのを見て、「音楽の力はすごい!」と、とても驚きました。
一方で、父母いずれもがん告知を受けていなかったこともあり、十分に看病ができませんでした。今振り返ると、そのときの残念な気持ちがチャリティライブにつながっているのかもしれません。 ■車いすユーザーの友人らと ――デビュー前には車いすユーザーのための情報誌で、編集にも関わっていました。 一青:親友がプールに飛び込んだときに首を損傷し、車いすユーザーになりました。その友人と外出するようになって、社会はなんて歩きづらいんだろうと思うようになって。電車に乗るときは、毎回、予約しなければならない、音楽イベントに行こうと思っても雑居ビルの4階には車いすで上がれない、レストランのトイレが狭くて入れない……。