MBTIの「自己分析」に「振り回される」若者たち…アイデンティティの神話と落とし穴
MBTI(モドキ)が抱える「問題」
第三に、物語を用いた自己像の探求は、ときに、凝り固まった自己像を作り出す。自分のアイデンティティを確立することが行き過ぎると、特定のあり方に自分を枠ではめてしまって、硬直化したアイデンティティを生きることになってしまう。 美学者のピーター・ゴールディは、自己の物語化がもたらす悪影響の一つとして、ジャンルとキャラクター構造の押し付けを指摘している(Goldie 2012)。フロイトはかつて、自分の人生や境遇をある種運命的なものとして捉える、運命神経症(Schicksalzwang)の存在を指摘した。これにかかると人は、自分の運命が自分の変えられない固定された性格と不可避的に結びついていると考えてしまう。そうすることで、ほんとうは変えられるかもしれない自分の境遇を自分の本質だとみなして、そこから脱出できなくなってしまう。 こうした事例は、私たちが思うよりもありふれているように思う。 たとえば、現在若者のあいだで流行っているMBTI(モドキ)は、16のキャラクター的なパーソナリティーに人々を分類する俗流心理テストで、人々はこのMBTIの結果に基づいて自分の性格をやふるまいを他人に説明したり、自己理解に用いたりしている。 そもそも16Personalities診断はMBTI学会からも批判されているが、その本家のMBTIにせよ、心理学者からは「既知の事実やデータとの一致しておらず、検証可能性に欠け、内的矛盾を有するという点で、厳密な理論的基準において躓いている」として厳しく批判されている(Stein et al. 2019)。 それはともかく、16Personalitiesにおける各パーソナリティの説明には、物語的な要素が数多く含まれており、診断を受けた人が自分自身を特定のキャラクターになぞらえて自己理解することを助長している。 加えて、診断を受けた当人たちが、MBTI診断の結果を物語化しキャラクター化を強固なものにしている。SNS上にパーソナリティ同士の相性をコミカルに描いたマンガやイラストレーションを投稿したり、それを再拡散したりして、診断結果をより強化するような振る舞いを行っているのだ。 こうしたキャラクター化は、自分自身の理解を多少は深めるかもしれないが、結局のところ、心理学的にも怪しいパーソナリティ概念を用いることで、浅薄な理解にとどまる可能性の方が高いだろう。 薬物依存症は、こうした物語的なアイデンティティがデッドロックに陥った状態だ。 どういうことか。 そもそも、薬物使用は、私たちの(西洋風の)社会において、しばしば、エロティックでロマンティックなものとして扱われる。薬物使用はある意味で「エモく」、ドラマティックなものなのである(Pickard 2021)。そして、薬物依存者、というエモーショナルな物語に入り込んでしまい、別の自分の姿を想像できなくなることで、依存症の人々はひととき薬物から離れられても再び薬物依存者というアイデンティティに舞い戻ってしまう、という仮説が提示されている(Pickard 2021)。薬物依存者であることを誇りに思う人も存在する。しかし、その持続不可能生や福利の少なさは非常に気がかりなものだ。