【現地ルポ 能登半島地震まもなく1年】#1「この集落はなくなります」80代元住民が嘆く厳しすぎる現状
【現地ルポ 能登半島地震まもなく1年】#1 「もうここには住めない」という悲痛な声が聞こえてきた。 【写真】藤岡弘、危機に備えるサバイバル術「“自分の身は自分で守る”という強い意識を持っている人が最後は生き残る」 まもなく発生から1年が経とうとしている能登半島地震。災害に脆弱な過疎地域を中心に大きな被害に見舞われ、消滅の危機にさらされている集落が少なくない。 石川県金沢市の中心地から80キロほど北に位置する、七尾市中島町河内の山間集落は、正月の地震による被害がとりわけ甚大だった。古い家屋が多いため大半が揺れで傾き、一目で再建が不可能だとわかるほどのダメージを負った。震災直後の1月11日に日刊ゲンダイ記者が集落を訪れた時は住民が全員避難しており、“廃村状態”と言ってもいいほどだった。 先月下旬、記者は同集落を再訪した。当時と同じで人けがなく、集落は静まり返っていたが、家の納屋にたたずんでいた80代の男性を見つけた。元住民だった。男性は集落の現状をこう話す。 「見ての通り、ここには誰も戻ってきていませんよ。自分も畑の様子を見に来ただけ。家を再建するお金もないし、もうあきらめました。生まれ育った場所だから寂しいけど、この集落はなくなります。もともと高齢化がひどかったから覚悟はしてましたが、こんなふうに終わるとは……」 輪島市の中心地から西に1キロの距離にある七見川沿いの集落。ここもまた、住民の帰還が困難な地域だ。9月の豪雨災害で、山の中腹にある家屋はほぼ全て、増水した川の激流に漬かった。比較的被害の少なかった自宅でかろうじて生活を続ける50代男性は、胸の内をこう明かす。 「正月に被災して6月になんとか戻ってこられたのに、元の状態に逆戻り。集落のみんなはまだ避難所生活だし、今もどん底で気持ちの整理さえついていないはずです」 ■人が死ななきゃ記事にならない 土砂災害で流されてきたがれきは、いまだに撤去されていない。 「上流の集落に住んでいたおばあちゃんの家は土砂にのみ込まれ、柱一本残らなかった。数年前に亡くなった娘さんの位牌も流されてしまったようで、おばあちゃんはよくここに来ては、遺品を捜している(写真)。この前、がれきの中から娘さんが着けていた腕時計を見つけたって。でも、ずっと捜し続けて出てきたのはそれだけ」 苦しい実情をせきを切ったように話し出した男性は、最後にこう訴えるのだった。 「被災した時に新聞記者がここに来て、俺らの前で『人が死ななきゃ記事にはならない』と言ってた。もっと大変な人がいるからそれはわかるけど、俺らもまあ……しんどいぞ。地盤も緩んでるだろうからこの集落にはもう住めないし、これから新しく家を見つけなくちゃならない。生活再建には金だけじゃなく気力も必要だけど、どっちももう残ってない」 被災者は心身ともに疲弊している。 (取材・文=橋本悠太/日刊ゲンダイ)