蚊取り線香の上山家、菊正宗酒造の嘉納家、鍋島藩の御用窯だった中里家……名家それぞれの「家訓」と「挑戦」
蚊取り線香の家
和歌山・有田市の名産品といえば、誰もが有田みかんを思い浮かべることだろう。 そのみかん農家に生まれた上山英一郎は1885年、福沢諭吉からアメリカの植物輸出入会社の社長を紹介される。そしてみかんの苗と「ビューハク」という植物の種とを交換した。 【一覧】あなたの県は…?全国47都道府県の「名家」(西日本編) 英一郎はその植物に害虫駆除に効く成分が含まれていることを知り、線香にヒントを得て1890年に発明したのが、蚊取り線香である。 英一郎のひ孫に当たる上山久史氏(68歳)に話を聞きに行くと、上品な関西弁で話してくれた。 「1919年に大日本除虫粉(現・大日本除虫菊)株式会社を設立しましたが、個人商店としては1885年1月に創業していますから、来年1月でちょうど140周年です。私は英一郎のことを知りませんが、祖父によれば、『父に褒められたことなく、母に叱られたことなく』。ふたりは子育てや商売では良いコンビやったのではないかと思います」 英一郎の夫人・ゆきはあるとき、とぐろを巻いたヘビを見て、渦巻き型にすることを思いついた。燃えている時間が短かったこと、運ぶときに折れやすかったことなど、棒状の線香ならではの難題が一気に解決され、爆発的ヒットとなった。 「上山家の代々の家訓は『鶏口となるも牛後となるなかれ』。それを表すために鳥の頭をマークとし、『金鳥』を商標登録したんです。世界で初めて蚊取り線香を発明したのは私たちですが、それに固執していたら会社はいずれ朽ちていきます。 1952年に日本初のエアゾール式殺虫剤『キンチョール』を発売したり、1983年には世界初の無臭の防虫剤『タンスにゴン』を発売するなど、つねに新しいものを開発していきました」 創業以来、上山家は和歌山の地元を大切にしている。 「蚊取り線香は適度に温暖で風通しがよい有田の地だからこそ成功したところもある。工場では、線香を乾燥させるときに独特の匂いがしますから、地元の人から『臭いから出ていけ』と言われてもしかたないのに、ずっと受け入れてくださっています。その気持ちに対して私たちも公民館を寄贈したり遺児育英会をつくったりとお礼をしたいというのが先代からの変わらぬ気持ちです」 従兄である直英社長業のもと、大日本除虫菊はさらなる進化を遂げようとしている。
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