蚊取り線香の上山家、菊正宗酒造の嘉納家、鍋島藩の御用窯だった中里家……名家それぞれの「家訓」と「挑戦」
灘中・高を創立した嘉納家
近畿地方には、前章で述べた老舗系財閥が多い。滋賀の近江商人は、高島屋を創業した飯田家、外与を創業した外村家など、京都に進出する例もあれば、伊藤忠商事をつくった伊藤家など大阪に進出した例もある。県境の意識が希薄なのが近畿の名家の特徴だ。 その中にあって、神戸の灘に居を構え続けるのが嘉納家である。 『47都道府県・名門/名家百科』の著書もある、姓氏研究家の森岡浩氏が語る。 「時代が下るにつれ、東京と同じく近畿でも多くの財閥が集約されていきましたが、菊正宗酒造の嘉納家は昔のまま変わりませんでした。廻船業をしていた本嘉納家は、1659年に六甲山系から名水を活かして酒造業に専念したのですが、14世紀にはすでに後醍醐天皇に酒を献上し、『嘉納』の姓を賜ったとも伝えられています。 8代目治郎右衛門は灘中・高校を創立したことで知られており、講道館を創設した柔道家の嘉納治五郎を出すなど、武術の世界にまで影響力を持っている家系です」 菊正宗の工場近くを歩いてみると、「戦後の厳しい時代、日本が誇れる品物の一つが日本酒。その利益で地域を守り、活性化させてくれた」という声が上がる。 中国・四国地方に目を向けてみよう。山陽地方には天満屋創業家・伊原木家などの老舗系が多いのに対して、山陰地方には地主系地方財閥が多い。 「島根の田部家は、もともと山林地主でしたが、テレビ局(山陰中央テレビジョン)を持っていますし、23代・長右衛門は島根県知事を'59年から3期務めるなど、相当の影響力を持っています。 他方、鳥取の坂口家は明治維新後に初代・兵平衛が土地を集積して巨利を得ました。それを元手に金融、鉄鋼、紡績、電気事業などを次々と興したんです」(前出・森岡氏)
鍋島藩の御用窯
全国的には無名だが、地元にしかと根を下ろす名家は四国にもある。 森岡氏が続ける。 「私自身が高知出身なのでよく知っていますが、表にはあまり出てこない入交家という名家があります。幕末には藩の石灰御用を引き受けた豪商なのですが、現在は『入交グループ』として様々な会社を傘下に収めています。地元の経済界をおさえる強い力がある」 九州には工業系地方財閥が多かった。たとえば「筑豊御三家」とされる麻生太郎を生んだ麻生家、明治鉱業の安川・松本家などだ。 他方、佐賀には有田焼をはじめ、鍋島藩の御用窯が残る。中里家は初代・中里又七以来、肥前国唐津藩の御用焼き物師だ。 「唐津に来たのは300年ほど前。明治になるまでは唐津藩の献上品をつくっていました。私の場合は唐津焼の家に生まれたので、なんとなく受け継いだ。 いま唐津焼は人気が高まり、20年前は50窯元だったのが70窯元ほどに増えています。新しい陶芸家と一緒に唐津焼を世界に広げていきたいです」(14代中里太郎右衛門氏・67歳) 佐賀・鍋島家もそうだが、西日本には鹿児島・島津家など戦国大名に連なる名家が今も残っている。 そのひとつが立花家だ。九州を代表する戦国武将・立花宗茂や、その妻で「戦う女城主」誾千代などで知られる。 後編記事『立花家の子孫は料亭旅館を経営、徳山毛利家の子孫はYouTubeで歴史を発信……「名家」をどう次代へ受け継げばよいのか』に続く。 「週刊現代」2024年12月21日号より
週刊現代(講談社・月曜・金曜発売)
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