コンビニバイトに挫折、大学生なのに借金1,500万円、サラリーマンの道をあきらめたが…20代で旧ソ連のジョージア移住で「経済的自由」をつかめたワケ
海外へ拠点を移し、インターネットで完結するビジネスで経済的自由を獲得、節税も実現――。多くの人には想像しにくい生活スタイルだと思いますが、20代の若さで旧ソ連の東欧ジョージアへ移住し、実現した経営者がいます。ジョージアまで訪ね、実情を聞きました。※本記事は、OWL Investmentsのマネージング・ディレクターの小峰孝史弁護士が監修、OWL Investmentsが執筆・編集したものです。 年金に頼らず「夫婦で100歳まで生きる」ための貯蓄額
大学在学中の19歳で、中国からの輸入ビジネスを起業
小峰:起業したのは何歳のときですか? 佐々木:大学に在学していた19歳のときです、というと格好よく聞こえるかもしれませんが…。じつは、コンビニエンスストアのアルバイトで、人によっては1ヵ月で外れる〈研修マーク〉が、半年間もの間外れず、それで「普通に会社勤めをするのは向かないかな」と思ったのが、起業のきっかけです。 小峰:そうだったのですね。最初に始めたビジネスはどのようなものでしたか? 佐々木:中国からの輸入ビジネスでした。服からスマートフォンのケースまで、あらゆる物を輸入し、メルカリなどで売るというビジネスです。儲かったことは儲かったのですが、起業するような大学生でしたから、もっとキラキラと輝くようなビジネスをしたくて。「何者かになりたい」という憧れが強かったんですね。
医療関係メディア事業で大失敗、学生なのに借金1,500万円
佐々木:もっと社会にインパクトを与えられるビジネスをしようとして22歳のころ始めたのが、希少疾患に関するメディアでした。いまは治癒したのですが、そのころ、弟が希少疾患を患っていました。希少疾患の患者は、なかなか情報を得ることができないので、治験の募集をしている医師・研究者と患者とをつなぐメディアを作りました。 小峰:うまくいったのでしょうか? 佐々木:まったくダメでした。そもそも希少疾患というくらいですから、患者数が少なくビジネスになるほどの数になりません。しかも、患者からも医師・研究者からもお金を取りにくくて…。 小峰:なるほど…。 佐々木:結局、残ったのは借金だけでした。この起業のため、個人の投資家を中心に1,500万円くらい借金をしていたのです。普通のサラリーマンをしていては1,500万円も返済できませんから、この時点で「大学を卒業して就職」という選択肢は絶たれ、起業して稼ぐ以外の道がなくなりました。