巨人・阿部監督が〝橋神様〟と心酔、先輩・橋上秀樹コーチが5年越し入閣 就任1年目から優勝、原前監督の影響力低下で実現
就任1年目から優勝もクライマックスシリーズで敗れた巨人・阿部慎之助監督(45)が、5年前からベンチに待望してきたピースがついに埋まった。 【写真】ヤクルト時代の橋上秀樹コーチ。隣には古田敦也や岡林洋一も(1992年撮影) 2014年以来11年ぶりの復帰となる橋上秀樹作戦戦略コーチ(58)が29日、ジャイアンツ球場で再始動したチームに挨拶。「打撃コーチに技術の向上をしていただいて、私は試合でどの引き出しを使うかアドバイスができれば、より効率よく点が取れるんじゃないか」と貧打解消へのビジョンを語った。 野村克也監督の門下生としてヤクルト、阪神、楽天でID野球を学んだ橋上氏は、12年に当時の清武球団代表に招かれ原巨人のコーチ陣に入閣。データの活用が遅れていた巨人の打者に対し、「見逃し三振OK」「低めは捨てろ」などの指示を徹底して投手攻略につなげた。安田学園高の後輩で当時の主砲だった阿部監督が「橋神様」と心酔するなどナインの信頼を集め、就任初年度の日本一を始めリーグ3連覇に貢献。しかし、次第に相手バッテリーにデータの裏をかかれる傾向が強まり、原辰徳監督が打席の中で自分の頭で考える方針を強めたこともあって、14年限りで退団した。 原監督が指導者へのレールを敷く形で阿部監督が20年に現役引退後、2軍監督に就任した際も橋上氏を参謀役として呼びたい意向があったが、原監督の全権体制だった当時は実現せず。1軍監督に昇格した昨オフも、禅譲した原監督が組閣に影響力を維持していたため見送られたが、就任1年目から優勝して阿部監督の発言力が強まり、ついに念願の入閣となった。 橋上コーチは阿部野球について「捕手出身の監督さんという試合展開、選手の使い方をする。守りを重視した構成と感じていた」と分析。「監督は全般を見なければいけないので、意図することを汲んでこと細かく選手に伝え、浸透度合いを早く、深くやれればいい」と役割を理解している。 阿部監督は「本当は出なければいけなかった(日本)シリーズだと思って、テレビで見ている。悔しい思いでいっぱい」と反省。橋上コーチには「特に戦略的なこともそうですけど、若い選手の教育もしてもらおうと思っているので、そこをメインにやってほしい」と、前回の日本シリーズ制覇の原動力となったID野球の注入を期待している。 (塚沢健太郎)