【完全再現】“拉致船”が目の前に――「120%生きて帰れない」緊迫の護衛艦25年前の事件、元航海長の“悔い”今も『every.特集』
■「誰かが犠牲に…」。後悔した言葉
乗組員の誰もが、死は免れないと考えていた不審船への立入検査。隊員たちは、自分たちが行く意味を必死に探しているように見えた。 伊藤の部下は「航海長、私の任務は手旗です。こんな暗闇の中、手旗を読めるわけがありません。行く必要は本当にあるのでしょうか」と尋ねてきた。伊藤は心の中で「確かにこいつが行く意味なんてない」と思いながら、こう伝えた。 「国家が意思を示す時、誰かが犠牲にならなければならないのなら、それは自衛官である我々がやることになっている。行って、できることをするんだ」 部下 「…ですよね、そうですよね。分かりました。ありがとうございます」 自分の説得めいた言葉を、部下は納得して受け入れた。伊藤は後悔した。
■「間違った命令だ」。伊藤は強く思った
隊員たちの中には、「両親へ 生んでくれてありがとう 悔いのない人生でした」などと遺書を書いた者も。食堂の隊員は互いに、ライフジャケットの粘着テープに「ガンバレ」「負けるな」とペンで書いた。短い時間の中で、それぞれが覚悟を決めたのだろうか。 整列した彼らの表情を、伊藤は複雑な思いで見つめていた。部下が駆け寄り、「航海長、後はよろしくお願いします」と敬礼した。伊藤も右手を顔にかざして答礼した。 達成できる見込みがない任務で、命を失うかもしれない。それを受け入れた若者たち。伊藤は強く思った。「これは、間違った命令だ」 その後、不審船2隻は追尾を振り切り逃走。結果、立入検査が行われることはなかった。
■志願して…特殊部隊の創設に尽力
事件後、日本政府は2隻を北朝鮮の工作船と断定。この事件のような事態に対応できる体制づくりを急ピッチで進めた。元航海長の伊藤は志願して、船への突入などを任務とする特殊部隊「特別警備隊」の創設に関わり、隊員たちを育てた。 あれから25年。伊藤は今も、あの時の言葉を悔やんでいる。 伊藤 「私は彼らが絶対に任務が達成できず絶対に生きて帰ってこられないことはわかっていたのに、ただ行かそうとした」 「なぜ任務が達成できず120%死ぬ、死亡することがわかっているのに行かすのか、政府にその理由を言ってくれとなんで言えなかったのかなというのは、私が一生恥じて生きていくことなんです」 (3月27日『news every.』より)