いまも残る加害の歴史、日本の「戦争遺跡」を見つめ直す
終戦から75年以上を経て、いまも国内には戦時に使用された施設の跡が残っている。その中には空襲跡のような被害の歴史だけでなく、日本が積極的に戦争を推し進めていた加害の記憶もある。本土決戦に備えて「大本営」司令部や仮の「皇居」の移設まで予定していた長野県松代市の地下壕群など、3か所の「戦争遺跡」を訪ねた。(取材・文:神田憲行/撮影:小禄慎一郎/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
本土決戦に備えて、山をくりぬく
《「外相、もうあと2千万、2千万の特攻を出せば、日本は、かならず、かならず勝てます!」》 《「いや、もうあと2千万、日本の男子の半分を特攻に出す覚悟で戦えば――」》 これは「日本のいちばん長い日」(岡本喜八監督、1967年)という映画に出てくる大西瀧治郎海軍中将が、日本の降伏を止めようとして外務大臣に迫るせりふだ。SNSでは映像の一部とともに紹介されることも多いので、見たことがある読者もいるだろう。末期にあってもなお戦争継続を求める狂信的な姿がここにある。この映画は、天皇の玉音放送を中止させようと宮中に陸軍青年将校たちが乱入する「宮城事件」が舞台だ。 主要人物のひとりに、井田正孝中佐がいる。映画では故・高橋悦史が演じた。 その井田が戦争末期、本土決戦を企図して造らせた巨大な軍事施設の遺構が長野市に残っている。その名を「松代大本営」という。長野市松代地区にある象山、舞鶴山、皆神山に地下壕を掘り、そこに最高軍事意思決定機関である「大本営」を始めとする政府機関、NHK、さらに天皇の居室まで移転して、本土決戦に備えようとしたのである。1944年の初めに井田が進言して実行されることになった。 「候補地は他にもありましたが、松代は東京から遠すぎず、山に囲まれていて空襲がしにくい、空襲に耐えられるほどの岩盤が強い、さらに『信州』と『神州』をかけて縁起も良い、ということでここに決まったそうです」 NPO法人松代大本営平和祈念館のガイド、松樹道真さん(67)はそう説明する。