目指すは「原子力開発の英アーム」!日本初のスタートアップ企業の挑戦
● 福島第1原発の事故を受け 信頼回復のために奔走 転機となったのは、やはり2011年の東日本大震災です。福島第1原子力発電所の事故を受けて、全国の原子炉は研究炉も含めて安全性の再評価が求められました。新規制基準に適合するため、高温工学試験研究炉(HTTR)も約10年間にわたって稼働を停止しました。 そうした中で、私は2年間ほど原子力規制庁に派遣され、その業務に携わる機会がありました。これは私にとってかなり貴重な経験でした。日本の原子力開発をもう一度軌道に乗せるためには、規制機関の信頼回復が必須であり、そのお手伝いをしたいと思っていたからです。 例えば、原発が立地する自治体に赴き、原子力規制庁の施策や考え方を首長さんに説明する、いわば広報の役目をこなしました。またある時は、事故に見舞われた福島第1原発で課題だった汚染水の取り扱いを、技術的な面から助言することもありました。 原子力規制庁の仕事が落ち着き、JAEAに戻ったのは2014年です。事故のわずか3年後ですから、当時の原子力業界には、新しい原子炉を開発しようという雰囲気はあまりなかったと思います。JAEAも原子炉メーカーも、福島第1原発の事故対応に、お金も人材も引っ張られていたからです。 ● 原子力は依然として有望ビジネス 日本と海外の熱量の違いに驚く 一方で、海外に目を向けると日本とは全く異なる雰囲気で驚きました。例えば、私が日本原子力研究開発機構(JAEA)に戻った当時、世界には米国を中心におよそ50社以上の原子力スタートアップが立ち上がっていたのです。海外で開かれる原子力関連の学会に出向くと、スタートアップが基調講演で存在感を見せるなどして活発でした。 日本に帰ってみると、そのような雰囲気はほとんどありません。この温度差を常々、疑問に感じていました。確かに、当時は福島第1原子力発電所の事故の直後ですから、難しい時期ではありました。とはいえ、大きな組織でなければ原子力開発が難しいと考えるのは、単なる思い込みだと感じたのです。 私が在籍したJAEAは国立研究開発法人であり、経済性を追求した商用炉を主に開発する組織ではありません。民間の原子炉メーカーが手を出しにくい、新技術の研究開発が任務です。高温ガス炉(HTGR)や高速炉(FR)が代表例でしょう。採算を考慮しながら技術を社会実装する取り組みには、あまり時間や予算を割けない事情がありました。