「就職氷河期世代」の精神科医からの提言 規格化されていく現代の若者たちが「ないものとされた」世代から学べること
他にインターネット時代の課題についても「分かっている部分はあるはず」と続けます。 熊代「例えば、デジタルに頼りすぎる危うさをコロナ禍が教えてくれましたよね。学校に集まれず、コミュニケーションの機微を身につける機会を逃した学生さんも多かったと思います。 デジタルは便利だけれども、対面のコミュニケーション技能はやはり学ぶべき。それはコロナ禍の教訓として、これからも言っていかなければと私は思います」 デジタルによる効率化を追求するあまり、コスパやタイパといった言葉も生まれています。そんな現状に対し、「人間を取り戻せ」と熊代さん。 熊代「人間はコスパとタイパだけで生きられる生き物ではありません。でも、私たちの世代はそれを追求するように強いられ、その習慣は下の世代にも染みついていると思います。 『本当にそれでいいのか?』という問い直しは、ぜひしていただきたいと心の底から願います」
「ホワイトな職場にふさわしい労働者」が求められた結果
「人間」を失いつつあることは、メンタルヘルスの問題にもつながります。今の日本社会の職場のメンタルヘルスの課題として、「労働者として私たちはいいように使われすぎているのでは」と熊代さんは疑問を呈します。
熊代「21世紀に入って、会社はホワイトになりコンプライアンスを守るようになりました。それによって労働者のメンタルヘルスが守られている面はあるでしょう。 その半面、『ホワイトな職場にふさわしい労働者でいなければならない』という考え方にもなったように思います」 それは言葉を換えれば、ホワイトな職場に適応できない労働者が居場所を見つけにくくなっているということ。 熊代「今の職場の人手はギリギリだと思います。その中でコンプライアンスを守った職場を維持しようとすると、調子を崩しがちな人や周囲と軋轢を起こしがちな人がいては回らなくなってしまう。 その結果、発達障害の特性を持つ人やうつ病などで不規則に休む人に対して、会社も世の中も弱くなってしまったと思う部分もあるんです」 「うまく会社になじめない自分が悪い」「うつ病になってしまった自分に問題がある」。そうやって自分に責任を求めることは、「それこそ就職氷河期世代の二の舞いになりかねない」とその危うさを指摘します。