江本孟紀氏「やっと来られた」涙のセンバツ出場辞退から11年…阪神移籍で因縁の甲子園が本拠地に 巨人戦ではベンチにいる憧れの長嶋氏を見ながら投げた!?
球史に残る発言「ベンチがアホやから」の真相
江本: 僕はね。プロに入って2年目から8年連続で2桁勝利だったんですけど、9年目に8勝しかできなかったんですよ。それで、そこでちょっと糸が切れたんです。 そのときにブレイザー監督がシーズン途中で辞めて、Nさんという人が途中から監督になったんですけど、もともとこの人とはあまり合わなかった。チーム内のゴタゴタで、やる気を失ってた。僕はやる気を失うとすぐ嫌になるタイプだから、結果的に「ベンチがアホ」とか言ってしまって。 あれ、僕は壁に向かって言ったんですけど、壁の反響で「アホ」というふうに聞こえたみたいですね(笑)。 徳光:(笑)。 江本: 記者はみんな自信がないから、僕が球場を出る帰りがけに、キャップクラスがみんな来てね。「こんなふうに言ったってことになってるけど、それでいいのか」って聞くから、「いいよ、いいよ。書いといてくれ、明日」って言って。それで翌日、スポーツ紙全紙が書いたんですよ。 徳光: 「ベンチがアホやから野球がでけへん」。ここまで言ったんですか。 江本: その「アホやから」あたりからは、壁の反響で違う音に聞こえてきたんじゃないですかね(笑)。 徳光:「野球がでけへん」。 江本: あれじゃ野球はできないですよ。最高の場面で、ベンチに首脳陣がいなくなったんですから。 徳光: そのいきさつがよく分からないんですが。 江本: 僕が8回表まで投げてて、阪神が勝ってたんですけど追い上げられて、ツーアウトでランナーが二三塁に残ったんですよ。 江本氏が語るのは1981年8月26日の阪神対ヤクルト戦の話だ。この試合で先発した江本氏は7回まで1失点と好投。4対1とリードして迎えた8回表に1点返され、なおも2アウト三塁二塁のピンチで、8番・水谷新太郎氏を迎えた場面だ。 江本: バッターは8番バッターで一塁が空いてるから、ここは、どう考えても歩かせるでしょ。もしくはピッチャーを変えるか。100歩譲って勝負するか。いくつかの選択肢ですよね。 徳光: ベンチの指示ですよね。 江本: それを仰ごうと思って、掛布とか真弓とか岡田とか、みんなマウンドに集まって、キャッチャーも来て、「おい、ベンチはどんな作戦や」って、みんなでベンチを見たら、監督さんがスーッと奥へ行かれたんですよ。 徳光: はぁ。 江本: これは結構ショックだったですね。それで、キャッチャーに、「じゃあ、ちょっと1球様子を見よう。1球様子を見たら判断してくれるかも分からんから中腰になれ」って言ってね、そこへ投げたんですよ。 外野手は敬遠と思ってるから、みんな腕を組んだりしながら見てた。外した球にバッターが飛びついて、たまたま当たって、ライトの方に飛んでいったのを…。 徳光: 高めだからフライになりますわね。 江本: 慌てて取りに行ったらボールがグラブに当たってこぼれちゃったんですよ。そうすると、二塁ランナーが帰ってきて同点でしょ。チェンジになってベンチに帰ったら僕に代打が出た。 昔は終わった選手はもうベンチにいなかった、ロッカーに帰るんです。それで、その帰る途中に「アホか、ボケ」って言って。 徳光: 発言されたことにペナルティみたいものはあったんですか。 江本: 球団に呼ばれて、事情を説明したんですよ。だけど、相手は野球の素人でしょ。「ここから10日間謹慎してくれ」って言われたんですよ。「10日休んだら、肩、肘が戻るのに20~30日はかかりますよ。そうするとシーズンが終わってるじゃないですか。『ピッチャーを辞めろ』って言ってるのと一緒ですよ。もういいです。いいです。辞めます。辞めます」。 それが真相です。
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