“オール沖縄のアキレス腱”? 米軍那覇軍港の返還計画とは 【図解】
“アキレス腱”と呼ばれる所以は?
政府も沖縄県も移設を進める考えで一致しており、那覇軍港が「対立」案件となっているわけではない。ではどこが“アキレス腱”なのだろうか。 しばしば全国的なニュースになる普天間飛行場の辺野古移設問題を思い出してほしい。海を埋め立てて、代わりの場所を整備し、そこに基地を移設した上で返還する点で、那覇軍港と普天間飛行場は共通する。だが、沖縄県の玉城デニー知事は辺野古移設に反対する一方で、那覇軍港の浦添市への移設については、同時に進む民間の港の整備による経済発展が見込めるとして容認の立場を取っている。 オール沖縄“生みの親”とも言える翁長雄志前知事(故人)も、那覇市長時代(2000~14年)、知事時代(14~18年)を通して那覇軍港の浦添移設を進めてきた経緯があり、「おひざ元の移設を経済発展に寄与するからと容認し、辺野古移設に反対するのはおかしい」といった批判が県内外から浴びせられてきた。 玉城知事や「オール沖縄」の支持層には、那覇軍港の移設に反対する声が多い。沖縄基地負担軽減担当相を兼任した官房長官時代から辺野古の問題で沖縄と激しく対立してきた菅義偉(やすひで)前首相らにとってみれば、那覇軍港の問題は知事を揺さぶり、「矛盾」を突く格好の材料となってきた。 現に、2021年2月にあった松本市長の三選をかけた浦添市長選では、菅前首相も秘書を派遣するなどして、てこ入れに力を注いだ。一方、玉城デニー知事は元共産市議の新顔の支援に回ったが、この候補は那覇軍港の移設反対を公約。容認の知事が反対の候補を応援する構図ゆえに訴えがちぐはぐにならざるを得ず、松本氏に大差で敗れた。
移設の行方は
那覇軍港の移設スケジュールはどうなっているのか。2013年の日米合意では、軍港を浦添に移設した上で、早ければ2028年度に返還する見通しが示されているが、軍港の配置場所について国と沖縄県、那覇市、浦添市の考え方が一致をみたのは上記の通り2020年8月のことで、作業は大幅に遅れている。 半世紀近くが経過した那覇軍港の移設・返還計画だが、当初は浦添に移設するメリットの一つとして、近接する米軍の牧港補給地区(キャンプ・キンザー。浦添市)との一体運用が可能となる点が挙げられていた。ただ、そのキャンプ・キンザーも、2013年の日米合意で全面返還の対象になっている。 そもそも那覇軍港の移設が必要なのか。ベトナム戦争や湾岸戦争の時期には頻繁に使われた那覇軍港も現在では「遊休化」しているとの指摘もあり、移設条件なしでの返還を求めるべきだという議論もある。