《ルポ売春家族》「パチ屋で因縁→美人局スナックへ」「利率は10日で5割の金貸しも」…一家を支配した「女帝」が編み出した、驚くべき「シノギの手法」
中学時代はソフトボール部で活躍
「幸せそうな家族」のもとで生まれ育った敦子だったが、地元の小学校にあがってから早くも「ボス」としての風格を漂わせることになる。小中時代の同級生の母親は、「昔からあっこは素行が悪かったんだ」と当時を振り返る。 「まあ態度が大きい子でさ、小学校のころから女番長みたいな感じだったべ。イケイケな女の子たちを引き連れていつも歩いとるの。だからウチの子も『おっかなくてあっこには近寄れねえ』とか言ってたし、気の弱い子をターゲットにして色々と命令してたとかも聞いたべ。だから今回の事件についても、近所の人たちも『あいつならやりかねねえ』ってため息ついとった」 地元の中学校ではソフトボール部に入部。そこで敦子被告は主力選手として活躍し、地区大会優勝の立役者になるほどの活躍を見せる。 「敦子は昔からガタイが良かったから、ソフトボール部ではキャッチャーを任されてましたね。クラスでも女子グループのボスというか、今で言うところの一軍女子のリーダーみたいな存在だったので、気が荒かった。男子たちも恐れていたので、全くモテるタイプではなく彼氏もいなかったと思います。 それとテレビの報道だと、敦子は『霊媒師JUN』と名乗って殺人を指示したとか言われてますけど、彼女からスピリチュアル的なものを感じたことはなかったし、それとは反対の力技タイプの子でしたね」(中学時代の同級生) ソフトボールの腕が注目された敦子被告は、スポーツ推薦で県内の高校に進学する。実家を出て下宿生活を送ることになるが、1年ほどで退学。その後、白石市内の定時制高校に編入、そこで出会ったのがのちに美人局ビジネスの一員となる、元夫の松野新太だった。 2人は意気投合し交際をスタート。敦子被告が20歳ごろに結婚し、松野の実家がある九州地方に嫁ぐことになり、3人の子宝にも恵まれた。しかし、姑との反りが合わずに数年も経たないうちに、元夫の松野と子供とともに地元に帰ってきた。 その後、敦子被告は父親の寿司屋を手伝い、大河原市内にスナックをオープンするものの1年足らずで閉店。松野の浮気が原因で夫婦生活も10年ほどで終わったという。以降も柴田町内でスナックをオープンするが、この時期には地元で「敦子が金貸しや美人局で稼いでいる」という噂が流れていた。
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